2009.1.31.
第二次世界大戦前夜から、戦中にかけ、
各地で得られた「医学上の成果」は、
一旦、集め、共有され、各国のキーパーソンに
再配分されました。
ペニシリンもその一つですし、
ヨーロッパ中央部にある米国資本の
研究所がもたらした抗がん剤もまた、
その一つでした。
満州で得られた成果も
重宝されました。
フランスではパスツール研究所、
米国では、フォートディートリック研究所、
日本では、日本抗生物質学術協議会、
など、特定の組織に集中的に配分することで、
各国の医薬品業界をリードする存在とし、
また互いに協調体制を整えました。
フォートディートリックは、ドイツ風に発音すると
ディートリッヒ要塞ということになります。
現在は、フレデリック研究所と改称され、
NCI(国立がん研究所)傘下の重要組織と
位置付けられています。 つい、2-3年前も、
がんワクチンは、散々、試験したが、有効率が
2%程度しかない、期待はずれであったと、
論文を出していました。 また、かつては、
パスツール研究所と、エイズ発見先陣争いで、
共同研究を行いつつ、かつ、
法廷闘争を繰り広げた「仲」です。
パスツールの勝利ということになっていますが、
当時の米側ロバート・C・ギャロ博士のラボにいた人に
聞いたところ、いや、絶対、ギャロ博士が先に
発見したし、徹底的に応援しようと協力したんですが、
発見時の資料が全部、消えてしまったので、
裁判ではどうしようもなかった、、、、
と、言ってましたね。
昨年、パスツール側のモンターニュ博士が
ノーベル賞を取ったことで、この論争は、
とっくに終わっていることを念押しされた
格好となりました。
ところで、フレデリックとは、やはりドイツ風に
発音するとフリードリッヒとなります。
メディチ家→ハプスブルク家
医薬品産業の源流
皮肉な話、今、免疫細胞療法を本業にしているのですが、
前職の企業では、イン川のほとりのある企業が製造する
臓器移植に使用する免疫抑制剤「シクロスポリン」というものがあり、
そこの総代理店もやっておりました。
何故、米国の最高権威である研究所が、
ディートリッヒにしろ、フリードリッヒにしろ、
ハプスブルク家ゆかりの名前を使うのか、
いずれ、書くことがあるかもしれません。
さて、日本抗生物質学術協議会設立にあたり、
中心的に動かれたのは、
梅澤濱夫氏と、八木沢行正氏の
お二人と聞いております。
確かに、梅澤濱夫氏門下生は、
私が所属していた組織をはじめ、
各医薬品メーカーにも沢山、いらっしゃいました。
八木沢氏の方は大学の先生ではないので、
門下生というのはいらっしゃらないのですが、
医薬品メーカーで、渉外部におられた、
ご子息には、わざわざ、ご丁寧に
ご挨拶をいただいたことがあります。
八木沢氏は、軍の仕事をされておられた時、風船爆弾の開発を
指揮されました。大きな気球を上げ、ジェット気流に乗せて一気に
ベーリング海峡を越え、北米上空で着地し爆発炎上させるものです。
この「米本土攻撃」は盛んに実施され、激しい山火事を引き起こし、
西海岸の大都市に熱風が吹き荒れ、大問題となります。
米軍は、日本に戦果を悟られないよう、徹底した報道管制を敷きます。
日本側も、米国にスパイ組織「盗情報」を展開していましたが、
この大戦果をキャッチできなかったようです。
戦果がないのか、と諦め、その内、攻撃をやめてしまいました。
もっとも、本来の目的は、植物を枯らすウィルス兵器を米本土へ
送り込むために開発されたもので、
八木沢氏のご担当も植物ウィルスです。
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