列強各国にお家の事情があったから、です。
教科書にある通り、列強は世界の大半の国、民族、文化を壊滅させ、奴隷として移住、大陸丸ごと住民を絶滅させるなど非道の限りを尽くし、アヘン戦争の次は日本を攻略する順番でした。
黒船来航の年はクリミア戦争が始まった年です。
両軍兵力300万、両世界大戦に次ぐ規模の戦いです。
露仏とも日本どころではなく、英軍は一部の艦隊を東アジアに回す余力がありましたが、陸上部隊を送り込んで日本全土を占領する余裕も予算もありません。
明治政府樹立後、日本が大陸進出を始めると独仏露三国干渉で圧力をかけてきますが、明治維新の胎動期には、「それどころではない」状況でした。 ロシアの主要港は冬には凍結して使えません。不凍港を確保すべくクリミア半島への南下は基本的な国策です。この時は200万以上の兵力を投入し「本気」でとりにいきました。
オランダは東南アジアでの植民地経営に勤しんでいましたが日本に地上侵攻する兵力はなく、超エリート教官団を長崎海軍伝習所や佐賀鍋島家の伝習所などに送り込みます。長い貿易を通じ、日本のどこをどう突けば現政権をひっくり返せるか、日本を内戦に陥れる諜報作戦の筋道は見えていました。
英国は艦隊を派遣し、日本本土を砲撃もしくは敵前上陸をかけては賠償金を稼ぎ、大阪湾に大砲を並べて徳川軍や禁裏を威嚇しますが大規模な陸上戦力で日本全土を蹂躙する代わりに、資金と武器を日本の一部勢力だけに握らせて天下を取らせる作戦です。
占領せずとも植民地経営の基本プランテーションの実行を明治政府に要求します。一般人が工場での重労働に従わないので上流階級が若い娘を富岡製糸工場等に差出し病人が続出する犠牲を払い英国資本に莫大な利益を貢ぎます。 英国は新政府の国家予算の20倍の資金を貸付け、軍艦を購入させ日露戦争に引きずり込みます。
米国にとって日本占領は「後回し」の状況でした。(続く)