2009.1.8.
勝海舟率いる咸臨丸が、米国を訪問しました。
幕府は、米国こそ、日本にとって将来、
最大の敵となると見込んでいました。
太平洋を西に渡り、必ず攻めてくる、と。
咸臨丸一行は、米国視察において、
その強大な工業力を目の当たりにしますが、
何よりも重要な目的は、南北戦争の
動向調査です。 「黒船」を率いて日本を
威圧したペリーやハリスも、南北戦争当時、
北軍の艦隊司令官として、南軍と戦っていました。
勝海舟は、北軍の海軍部隊は、「忙しい」と
判断します。 ならば、その隙に!
日本へ帰国次第、咸臨丸は、直ちに再出撃、
小笠原群島を占領してしまいます。
当時の常識として、領土とは、「見つけたもの勝ち」でした。
見つけた欧米人のもの、という意味です。
そこに、欧米人以外の誰が住んでいようが、
彼らには関係ありません。
小笠原群島は、欧米各国が、「発見」したり、領有を宣言したり、
移民を送りこんで、「住民」が住み、領主もいました。
特に、米国捕鯨船団が基地として盛んに活用していました。
彼らは、鯨を片っ端から殺しては、ズタズタに切り刻み、
大鍋で煮て浮いてきた油をすくとります。
単に、油を取るためだけに、鯨を絶滅に追い込んだのです。
ボストンの旧捕鯨基地跡を訪問した際、往時の写真や、
パノラマモデルが飾ってありましたが、まあ、よくあそこまで
やれるもんです。
これは、非常に、「ヤ バ イ」状況です。
地球儀を見れば分かりますが、小笠原群島は、日本本島に
食い込む匕首のような位置にあります。 ここに基地をつくって、
艦隊を常駐されたら、戦う前から負けたも同然です。
そこで、南北戦争のドサクサに紛れて、また、他のヨーロッパ諸国の
艦隊も、それぞれに、忙しかったので、鬼の居ぬ間に、
コソッと、占領してしまったのです。
ちなみに、この小笠原という名前、これは戦国時代、
武田家と徳川家の間で、どっちにつくのか、常に双方から
圧力を受けた名門、小笠原家に由来します。
語るも涙、数奇な運命に翻弄される一族の因果、
最後は、一族の念願をかなえ、古代からの領主である
小笠原の名前を復活させた、、、、 という話があるのですが、
どうやら、幕末、話を完全にでっち上げたようです。
これ、一歩まちがえれば、欧米列強の領土を勝手に占領という
とんでもない大事となります。 幕府はすっとぼけて、
「え? だって、昔から、あの辺の島々は小笠原家の領土だし、、、
名前だって、そういうんですよ、ずっと昔から、そういう名前なんです、ええ」
そして、さっさと、「昔からの固有の領土」に、移民を送り込みます。