2009.1.11.
長州の場合、英国艦隊との戦闘では、ボコボコにされてしまいます。
沖合いを通る外国商船を砲撃、つまり弱い者いじめをしたのですが、
英国艦隊が、大挙、報復に訪れます。 報復といっても、英国艦隊に
してみれば、フランスやオランダの商船戦が攻撃されるのは、
痛くも痒くもなく、むしろ商売敵が減るくらいのものです。
これは、あくまでも被害にあった欧州諸国の仕返しではなく、
自分のビジネスでやってきたのです。 長州は大藩だから、
しこたま賠償金を取れると、勇んで乗り込んできた英国側に、
長州は高杉晋作を交渉役に立てます。
身分の低い者を突然、重臣ということにして登用したのです。
高杉晋作は、平然と切り返します。
「賠償金?
いや、請求書は幕府につけといてくれ。
そもそも、日本の主権は幕府にある。
幕府が攘夷、攘夷というから、言われたとおり、
外国を討つんだ、と、やったまでのこと。
うちに文句を言うのは筋違いである、
言うなら、幕府に言ってくれ。
ならばここに幕府の役人を出せ?
幕府は江戸にある。
さっさとここを引き揚げて、
江戸へいってくれ。
幕府がもし、賠償金の支払いを拒んだら、
それは、幕府の主権が長州に及ばないことを
自ら認めたことになる。
だから、きっと、金を払うと思うよ、
さっさと商売してきたら?」
英国人にとって、高杉晋作はとても話が分かる人物、
と映ったようです。 組む相手として認めたのです。
一方の高杉晋作は、阿片戦争のことを調べ、
自ら上海に赴き、英国のえげつなさはしっかりと
見てきました。 さりとて、今の間は組む相手、
と捉えたのでしょう。 結局、英国から武器の供給を
受けることになります。
残念ながら、幕末までに活躍した人物に比べると、
明治政府設立後の人材は、スケールが落ちます。
坂本竜馬のような大きなヴィジョンを持つ人物や、
村田蔵六のような高度な戦略や技術を解する人物、等、
欧米列強に屈しないリーダー達は、混乱の中で、
早くに世を去ってしまいます。 ヨーロッパは甘くありません。
暗殺事件の真相などは、どこまでいっても、はっきり
しないものですが、ヨーロッパが何もしなかった、という
ことはないでしょう。 高杉晋作や坂本竜馬などは、
当然、ヒットマンのリストの上位に位置していたでしょう。
さて、幕府が大政奉還するならば、と、長州は、匿っていた三条家の
貴種を、天皇に擁立します。 ちなみに、英国商人が、明治天皇に
なる人物を挿げ替えた、日本人ではない人物を天皇に据えた、
という「お話し」まであります。 この類の話は、へえ、、、と聞いてれば
いいものと考えますが、確かに、明治天皇のお孫さん、しばらく、一緒に
お仕事をさせていただいたことがあるのですが、とても日本人には
見えませんねえ、、、中丸薫さんという方なのですが、ま、その話はいずれ。
ヨーロッパに留学していた人物、伊藤博文とか、井上馨とか、二人とも
高杉晋作の鞄持ちのようなことをしていた人物ですが、当然、ヨーロッパ風に
「教育」し、また、後押しをすることで、政権の上層部に登らせるのですから、
ヨーロッパからみて、何がしかのコントロールが効きます。
坂本竜馬は暗殺されましたが、竜馬の亀山社中の番頭、岩崎弥太郎が
大阪に九十九商会(つくも)を設立します。 ビジネスモデルは亀山社中の
コピーです。 英国商人グラバーから、資金を借り、船を貸してもらい、
ビジネスルートを使わせてもらって、まず物流業で儲けるのです。
それから、次々に資本を投下して、各産業に参入していきます。
実質的な外国資本企業「ミツビシ」の誕生です。
長崎グラバー邸では、かつて、清国海軍の主力戦艦「鎮遠」の舵輪がテーブルとして
使われていました。 実際、見てきましたが、なかなか立派なものです。
(今は、ない? みたいですねえ、、、) 明治政府樹立から30年たってない時期、
日本が命運をかけて挑んだ大国、清との戦争。 鴨緑江沖海戦(黄海海戦)は
日本が初めて近代的な海軍として他国艦隊に勝った海戦です。
その際の主力艦の舵という象徴的な部品が、何故、外国人の自宅に
「飾って」あったのでしょう、、、、、
幕末に見せた日本人の叡智、明治政府になって薄れてしまったのでしょうか。
いえいえ、日露戦争では、日本人特有の合理的精神が如何なく発揮されます。