藤井真則のブログ

このブログはリンパ球バンク株式会社の社長時代に、会社社長ブログとして会社HP上に掲載されていたものです。ちょうど還暦を迎えるタイミングで社長の責を後任に譲り一時は閉鎖しておりましたが、再開を望まれる方もいらっしゃるため、別途個人ブログとして再掲載するものです。ANK療法という特定のがん治療に関しては、同法の普及のために設立されたリンパ球バンク株式会社のHPをご覧ください。
本ブログは、あまり標準的ではない特殊な治療の普及にあたり、「常識の壁」を破るために、特に分野は特定せずに書かれたものです。「常識とは、ある特定の組織・勢力の都合により強力に流布されて定着したからこそ、常識化した不真実であることが多い」という前提で書かれています。

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2009年02月20日

  

えとせとら

2009.2.20.
 
 
NK細胞を巡る、最新の論文解説なども用意しているのですが、
その手の話は、バサッと、アクセスが減るので、、、
 
 
しばらく、歴史物。
 
 
 
607年 遣隋使 「日いずる国の天子、、、、」
610年 預言者マホメット、神の啓示を受ける
612年 隋、高句麗遠征
618年 隋、滅亡 
622年 メディナ遷都、イスラム教成立
622年 聖徳太子没
 
645年 5月 唐、高句麗を本格攻撃
645年 6月 乙巳の変(大化の改新はじまる)
 
660年 百済滅亡
663年 白村江の戦い
668年 高句麗滅亡
668年 天智天皇即位
669年 中臣鎌足 雷に打たれ即死
669年 天智天皇、行方不明 生死不詳
672年 壬申の乱
 
 
イスラム教成立後のユーラシア大陸中央部の動きは
省略しましたが、こうやって、ビッグイベントの年代を
並べただけでも、日本の歴史は、「世界史」として、
大陸の動きと連動していたことが、
お分かりいただけると思います。
 
壬申の乱のあと、平城京が建設されるのですが、
もちろん、平城とは、高句麗最後の都、「平城」
そのものの名前であり、「奈良」とは、ハングル語で、
「国」という意味です。 一方、天智天皇が生まれたとされる
大阪、中之大江にあった百済館跡は、今でも公園になってますが、
日本書記に百済の大使館で生まれた、とされているのですから、
表の歴史としても、出身は明確に示唆されています。
 
 
「日本」というのは、津軽の国号でしたが、青森から鹿児島までを、
「日本」と称するようになるのは、壬申の乱のあと、ほどなくです。
学校教育では、「大和朝廷」が、いつの間にやら「日本」に化けておりますが、
当然、「名前が変わった時」があるのです。 
 
 
 
最近の考古学の新しいテクノロジー、新年代測定法と遺伝子解析が
もたらした知見は、日本の統一国家出現は、ほぼ6500年前に遡る
ことを明らかにしつつありますが、現代に直結する「日本」が成立した
時代の歴史は、東アジア最大最強の大国として栄えた
高句麗抜きには、語れません。  
 
 
日本の国創りといえば、聖徳太子ですが、太子の祖母は、高麗姓。
つまり、聖徳太子は、高句麗王家出身の祖母をもつことになります。
また、太子に国創りの精神を伝えた恵慈は、高句麗王が日本に
遣わした高僧です。 「日いずる、、、」、普通、あんな国書をもって
いけば、間違いなく切り捨てられたであろう文書を書き、堂々と
煬帝に奏上したのも、恵慈(正史小野妹子をサポートする副史とされています)
と言われております。 また、高句麗からの国書と対を成すものでした。
生涯の師弟として動乱の時を共に生きた太子と恵慈。
622年2月22日に太子が亡くなると、623年2月22日、
一年後の同じ日に恵慈も亡くなっています。
 
 
長い高句麗の歴史を書くのは無理があり、とりあえず、人類史上、
少なくとも、古代史としては最大規模にして、かつ最も一方的な結果に
終わった、隋の高句麗遠征について、何回かに分けて書かせて
いただきます。
 
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どうか、如何なる困難に直面しても、動じることなく、先手、先手と
手をうち、見事に難局を乗り切った高句麗の精神に触れていただき、
明日を拓く活力としていただければ幸いです。
 
 
 
612年2月  隋の煬帝 高句麗遠征軍を興す
         戦闘員総数 113万 (兵士の名簿まで残っています)
         輜重部隊   200万 (精度は怪しい)
                    遠征軍総数 300万
 
好太王の時代に比べれば、格段に国力が衰えたとはいえ、
目の上の瘤とも言うべき高句麗に対し、総力を挙げた
遠征を仕掛ける隋。 
 
 
高句麗は、全ての民が心一つに戦い、
知略の限りを尽くし、
この未曾有の大軍団を、
ほぼ全滅させます。
 
 
隋は、わずか38年の短い歴史を閉じることになります。
 
 
明日以降、どうやって、こんな大部隊を壊滅させたのか、
高句麗の智恵について、書かせていただきます。

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