2009.3.2.
何故か、桜島を見ると、花粉症が大噴火するようで、
耐え難い頭痛と吐き気に、ブログも休ませていただきました。
昨日、お会いした「患者の会」は、他の病気の患者の会の代表の方が
引っ張っておられました。 殆ど、治癒の見込みなく、発症後、程なく
亡くなられるので、患者の会が成り立たないから、だから、余命の長い
別の病気の患者組織がひっぱっていくしかない、と、おっしゃってました。
自治体が、難病患者のために率先して動くことは期待薄、
厚生労働省は、患者の声が強くなると、無視できなくなる、
こういう、構図はいずこも同じようです。 そのため、重篤な
疾病を抱えた患者団体が、生活も大変なのに、活動資金集めの
ための募金やら、何か作品をつくって販売する、など、草の根
活動を行っています。
私が、医薬品ビジネスから、一端、足を洗うきっかけとなったのは、
重病と事故により、多臓器不全で生死の境を彷徨った、というか、
殆ど、あっちの世界まで行ってしまったあとのことです。
しばらくは、病室に、当時としては、殆ど個人で持っている人の
いなかった携帯電話を持ち込み、
(珍しかったので、病院で携帯電話を規制することもなかったのです)、
ファックスやテレックスは毎日何回がスタッフに運んでもらって、
あと、弁護士と、元中曽根(元総理)さんのスタッフをやってたとかいう、
日本語ペラペラの米国人を呼びつけて、英語のコレポンをやってもらい、
新薬開発業務のオペレーションを続けていました。
今から考えれば、とんでもない大迷惑だったでしょう。
ところが、内臓がやられているのに、そう何日ももちませんでした。
オシッコは、黒ずんだ茶色でドロドロしていてました。
何故、黄疸が出ないのか、不思議だったそうですが、
そういう黄疸をつくる、といった生体反応は止まっていたのでしょう。
骨がバラバラなのに、熱とか腫れとか、一切、炎症反応がなかったのです。
ほどなく、仕事はできなくなり、会社からも、来なくていい、
と言われたので、暇でした。
あれは、辛い。
いくら、体が重くても、同僚が働いているのを横目に、
一人、ボーっと寝てるしかない、世の中は、全く、自分を
必要としていない、という現実に、愕然としました。
誰ともコミュニケーションできないことも、
時間が経つほど、ボディーブローとして効いてきました。
頑張って、外出したとき、如何に周囲の人達が、
病人・けが人をケアしていないか、ということが、
身をもって分かりました(自分もそうしてた、ということですが)。
悪意はなくても、どれだけ大変かが分からないので、
危ないことをされそうになったり、ちょっとしたことで、
結構、傷つくのです。 こちらは、転んだら
致命傷になるので、もう、危険回避のため、必死です。
一番、ひどい時は、毎日20時間以上、
眠っていましたので、暇といっても、
一日4時間の自由時間があり、その間に悪戦苦闘して、
満足に動かない手足で、栄養を口に放り込み、
トイレに行くという、世紀の大事業も成し遂げなければ
なりません、ま、それなりに、忙しかったともいえますが。
生命力が尽きているのに、また再手術をやる、といわれた時、
これ以上、病院にいたら、今度こそ、死んでしまう、と、
動かない体を同僚に引きずり出してもらって、病院を出ました。
絶望的状況の中でも、「生きる」と決め、諦めなかったのですが、
自力ではどうにもならず、本気で人や社会のことを考え、分かり、
命を懸けている人に出会うことで、冷え切った心の芯に火が灯りました。
人に助けられているだけではなくて、何かやろう、と、
ボランティア活動を始めてから、体が、本格的に回復を始めました。
30歳にして、こないだまで、寝たきり寸前の病人だったのが、
睡眠時間2時間、食事は一日に、おにぎり2-3個で、
3ヶ月間、走り抜けると、内臓もほぼ正常に戻ってきました。
社会とのかかわりをもち、社会全体に働きかけることで、
生命力がみなぎり、病気が回復を始めたのです。
以来、十数年、風邪をひくこともなくなり、
何故か、花粉症だけが、最後に残った難物というところまで、
健康になりました。
がん患者さんが、県に冷たくされ、霞ヶ関でも門前払いされながら、
それでも活動を続けることで、国を少し動かす、この現実に対し、
病気の人に、そこまでさせてはいけない、という気持ちも起こるのですが、
おそらく、ただ、自分の病気の心配だけして、看病されるだけよりも、
本心から活動を始めたのであれば、何か具体的に動いている方が
充実感もあり、病気の回復にもつながるのではないでしょうか。
全国に、〇〇リボンの会、など、患者団体が活発に活動を
始めていますが、ANK療法を受けた方々も、今までは、ポツポツ、
お一人ずつ、という感じで、この療法普及のために、何かできることが
あれば、と、動かれていたのが、そろそろ、複数の方々が連携を
取り始める段階に差し掛かってきました。
患者さんだけが、走っていて、会社がボーっとしていては話になりません、
混合診療、保険に纏わる様々な課題、既存療法を実施する医療機関との提携、、、、
打破すべき壁は、分厚いものがありますが、万難を排し、突破するのみ、です。