学術会議のメンバーの更新の際に、菅新総理が6名の任命を拒否した件について「学問の自由の侵害」に当たるとの意見が上がっています。
これまで学術会議側が提出した名簿の通りに任命されていた、とか過去に任命における人選に関しては介入しないとの答弁があった、とか、この類の話は新総理にしてみれば「俺が今、総理なんだから、関係ない」の一言でしょう。 「任命権もってるんだから権限を行使した、それだけですが。」 と、ここまでは間違っているとはいえません。 「6名を排除した理由や背景説明がないことが問題」という指摘がありますが、任命権をもっていれば、理由を説明することなく任命するもしないも自由です。任命権とはそういうものです。
菅新総理が有無を言わさず権力を振るう「雰囲気」が醸し出ており、これに反発や警戒をするという「センス」はわかります。 かといって任命権を首相がもっていること自体が学術会議の性格を決める構造そのものなのであって、今回の任命拒否だけを問題とするのは筋違いです。
また、学術会議が反論を始めると、今度は予算の見直しの通告があり、如何にも官邸側が学術会議に対して言うこと聞かないなら金を絞る、あるいは廃止するかも、と圧力をかけているわけですが、これをもって学問の自由の侵害というのも筋が違います。 学術会議というのはそもそも、国の任命を受けた人々が国の金をもらって国に対して諮問、ここでいう国とは行政ですが、「構造として」国の言うことに「箔をつける立場」に置かれています。もちろん、活動内容として真に自由で、政府に対して物を言うべき時にははっきりと物を言う活動をしている、ということであればそれでいいのですが、あくまで「構造」としては、国に抱え込まれ、メンバーも現有メンバーが推薦するのですから、学問の自由どころか、一部の「派閥」がある種の権威をもって、諮問に過ぎないまでも「公的な意見の如く」権威化され、まるで学術会議の結論こそが「正しいもの」のような雰囲気をつくり、そしてマスメディアが大きくとりあげていくことで、学術会議に属さない研究者の発言よりも「箔がつく」上に、広く流布するわけです。
それならいっそ、これを機会に学術会議を廃止する、なり、国からは金を出さない、それもありです。
これを拡大解釈すると国立大学に所属する研究者は国の金をもらっているのだから「言うことを聞け」ということになってしまいますが、実際、すでに現実の実態をみれば自腹で研究費を捻出しない限り、国に予算を通さないと研究はできず、予算配分はiPS細胞関連など、特定の「国の方針」に則った分野に集中する傾向があります。これは昔から変わらない光景です。「予算映えする」テーマに研究が集中し、それ以外は「シーン」と無風に近い状況で、ポツンと風変りな研究者がスペースも機材も消耗品も学生も回してもらえず細々と研究を続け、メディアが取り上げることもなく、論文発表しても一般の人にその内容が伝わっていくことはそう滅多にありません。ましてや、高度な技術を要し、文書化が困難で論文にできないものなど、存在が知られる機会なく消えていく運命をたどります。そのような研究成果を山のように見てきました
大阪大学の前身は緒方洪庵の適塾ですが、適塾には更に前身があり懐徳堂という、江戸時代を代表する学問の拠点です。幕府学問所と異なり、基本的にファイナンスのバックは民間の商人です。適塾も帝国大学になった当初の大阪大学も民間資金で運営されていました。だから自由だったんだ、と単純にはいかず、資金を提供した組織の思惑もあるわけですが、ともかくも幕府や政府の意向とは独立して活動が行われていました。
少なくとも学術会議であれ、国立の研究機関であれ、国の予算管理の枠内にいる限り、完全な学問の自由はあり得ません。国の意向に反する言動を繰り返せば、国が介入なり、あるいは排除しようとする圧力がかかるのは、「構造上」当たり前のことです。 それを回避し、自由を維持するには活動費の独立性の確保が必要になります。
ちなみに米国では有名どころの大学のほとんどが私立です。
例外として、日本でもカリフォルニア州立大学の名はよく知られていますし、ニューヨーク州立大学には巨大な研究施設が日本では考えられない規模のキャンパスに立ち並んでいます。ストーニーブルック方式という言葉までうんだ産学共同方式により公立大学でありながら民間資金を導入したわけですが、お金のでどころのメインは巨大な半導体産業です。その名もずばりのナショナルセミコンダクター(国家半導体株式会社)や、そのスピンアウトなり分割企業や、出身者が創立した有名所のベンチャーキャピタルが出資したベンチャー、といっても公的支援により巨大企業になるのですが、同じ系統の資本の流れが巡ってきているものです。日本のナショナル電気は米国で「ナショナル」=国家という企業名を使えずにパナソニックに改名しましたが、ご本家には堂々と「ナショナル」を冠した巨大企業が存在していました。もっとも、どこの大学であろうと、ライフサイエンスならば国立衛生研究所NIHの資金供与(グラント)をもらって研究する、など分野毎にエネルギー省であったり、全米科学財団、どこか公的な機関から資金をもらって研究しています。あるいは国防総省も今や直接的な軍事費よりも企業や大学などに供与する研究費が大きくなってきています。結局、大学というのは軒先を貸すのが仕事であって、そこに「資金集めのプロ」のような教授を集め、見事なプレゼンによって公的なグラントを取ってくる、それが大学の運営費にもなり知名度向上につながっていくという仕組みになっています。グラントで得た資金を原資にポスドクを集め研究を行うことになります。ポスドクというのは博士号を取ったあと、企業や大学の教職につくなど就職する、ということではなく、大学に研究員として残る人で研究現場の最前線を支える実働戦力です。
活発で大規模な研究活動が展開される米国こそ、むしろ国家による研究の統制が厳しいのが現実であり、有名私立大学が多いといっても、ファウンダーをみればほとんどがロックフェラー・ブラザーズファンデーションです。 ボストンのニューイングランドにある医療の世界では有名なタフツ大学はタッパー氏が創業のこれこそ純然たる民間なのかというと、タッパー氏は日本でもよく知られるタッパーウェア事業の創業者であり、ベトナム戦争の食料供給容器として巨額の収益を収めたものです。研究内容は「ザ・国家プロジェクト」です。どこまでいっても「自由な研究活動」というのはなかなかないのです。
どうしても自由な研究となると、自由に使える資金源を自分で確保しないと無理ということです。