2011.3.28.
前回、放射線傷害と遺伝子修復について
まじめな話を書かせていただきましたが、
「納豆を食べると放射線の影響を排除できるのか?」
と、真顔で質問を受けました、、、???
知りません。
元気になることを、ぞれぞれにやっていけばいい、
そこまでは、言えるわけです、
前回、紹介したような遺伝子修復システムや
細胞性免疫システムの存在を考えれば。
もっとも、長期的な影響を測定する
というのは実際にはできません。
何を食べたら、どういう影響がでるのか
実際には、科学的検証はできないのです。
また、何をどう食べるかという問題は、個々人の問題です。
納豆が嫌いで耐えられない人が、強引に
食べ続けたら、すごいストレスでしょうね。
何がいいとか悪いとか、絶対的な基準など
存在しません。 ある程度は、いいもの
悪いもの、というのはあるにしても、
その人の命の状態が、その時、何を
求めているのか、求めているものを正確に
食べるのが、「いい食事」です。
もちろん、どういう人と、どんな雰囲気で
いただくのか、とか、如何に、豊かな食事か、
ということも大事です。
サプリの類に人気が集まるわけですが、
「サプリメント」ですから。
その人が不足しているものを
補うもの=サプリメントであれば
補われるまでは、有効でしょうし、
不足もしていないものを食べれば
かえって害でしょう。
これは効いた、と思っても
もう充足しているのにいつまでも
食べ続けたら、今度は、マイナスになるでしょう。
要するに、納豆を食べた方がいい人もいれば、
関係ない人もいるわけです。
私も納豆なるものを初めて目にしたのは
中学2年、生まれて初めて東京へ寄った時のことでした。
食堂に腐敗物が置いてあるのをみつけ、
早く捨てるように要求したのでした。
周囲の空気から、うん?これはひょっとして
かの伝説の奇習、納豆なるものか、とピンときました。
関西人は納豆を食べないんですね、と言われるたびに
世界のすべての民の中で、あんなものを食べるのは
一部の日本人に過ぎない、関西人は世界を基準に
考えれば、ごく普通なのである、と反論していました。
就職後、暗闇で間違って納豆巻きを口に含んだ瞬間、
胃液が飛び出て、喉も口も痛い思いをしました。
納豆をつくる枯草菌の培養は何度もやっていたのに
なぜか、食品としての納豆になると、耐えられなかったのです。
本気で口にしたのは、40歳になってからです。
一粒を口に含み、鼻をつまんで飲み込みました。
鼻をつまめば、匂いだけでなく味もわからなくなります。
次の年には、3粒を口に入れてみました。
その次の年には最大、一度に5粒、年間通算10粒を
超える納豆を口に放り込みました。
そのうち、青森の農家の人から送っていただいた
納豆を食べたら、これは美味しい!!!
ほんとは、こんなにおいしいものだったんだ、と
初めてわかり、それから、一部の納豆は食べれるように
なりました。 ボランティアで、「生命の農業」という
システムをやっている、というか、自分は食べるだけ
なのですが、今、小泊漁港で、ナントか蟹が何杯とれた、
とメールがくるとパッと注文すれば、宅配便で
送ってくるのです。 大手商社時代に接待で一流料亭に
何度もいきましたが、そんなのよりも、遥かにおいしく、
何より、「生きている」という実感があります。
値段も、中抜きがありませんから、超特別価格です。
米でも、ブレンドしないので、それは産地ごとに個性豊かで
一流ブレンドブランド米より、遥かに美味しく、安いのです。
今回の震災で、青森、特に日本海側の方は
まだ被害が少ない方だったようですが
今後の復興を考えていくとき、本物の食材を直接、
消費者に提供するシステムの拡大はやってみる価値があるでしょう。
で、納豆を食べるようになると、肉を食べなくても平気になりました。
かつては、毎日2kgの牛肉を食べていたのが、今は、
牛肉は口にしなくても平気になりました。
納豆たべても、ドカドカ肉を食べていれば、おそらく意味ないでしょう。
科学的根拠はありません、感想の類です。