2012.1.19.
もう過ぎてしまいましたが
1月17日は、日本では
「阪神大震災が発生した日」
となります。
西宮市仁川、被災地のど真ん中で
大震災を経験しました。
「揺れる」のではなく
爆音と共に、重い本棚などが
光線ビームのようにまっすぐ飛んでくるので
最初は、地震とは違う異常現象かと
思ったほどでした。
たまたま、地震の直前にガバッと起き
場所を移動してチョコンと座っていました。
関西は地震多発地帯であることは
知っていましたので、
関西は地震はない、と言う人々に
気をつけた方がいいといつも
言ってたのですが、寝室には
何も重い物を置かないようにしていました。
そしたら、隣の部屋から大きな本棚がまっすぐ飛んできました。
机と激突して自分には当らず、
なぜか重い家具が空をとびまくっているのに
自分は微動だにせず座っていました。
目の前の丘で暮らしてらした36名全員
生き埋めとなり、ほぼ即死に近い状態だったようです。
阪神大震災は、人生が変わる経験でしたが、それでも
東日本大震災の被害は想像することもできないほど
強烈です。 これで日本が目覚めなければ、では
何が起これば目覚めるのか、というほど、凄まじい
被害です。
ところで、1月17日は、阪神大震災の前年の同じ日に
ロサンゼルス大地震が発生しており、何かが起こる日と
ウワサされています。
自分自身の経験では、湾岸戦争の空爆が始まった日で
あの異常な空気は忘れられません。
当時、ワルシャワのマリオットホテルで、不思議な面々と
同じ部屋に集まり、TVを見ていました。
日本では、突然、イラク軍が侵攻した、とか、突然
戦争が始まったかのような報道でしたが、ヨーロッパを
訪ねていると、イラク軍のクウェート侵攻のずっと前から
戦争は避けられない緊張感が一般の町の人々にまで
沁み渡っていました。
空爆を開始する日は、月の満ち引きなどから、
地上戦を開始する日がある程度、想定され、
そこから逆算して、概ね、予想されていました。
戦争に必要な資材の「ご注文」は、何年も前から
きていましたので、いつころ、どの程度の兵力が
どこで動くかは、大体、予想もついていました。
この状況で、海外出張する物好きは普通ではありません。
ホテルに居合わせた僅かな面々には妙な共感が生まれ
一緒にTVをみることになりました。
某国の大統領の息子、英国の巨大メディアの大幹部
有名バイオベンチャーの経営者やオーナー、
同行していた私の当時のスタッフも変わった経歴の持ち主で
中曽根さんのブレインをやっていた(本人いわく)という
人物でした。 もう一人、かなり怪しい人物がいて
正体は分からなかったのですが、後日、巨大な国際シンジゲートの
メンバーだと分かり、あまり懇意にしなくてヤレヤレでした。
玄関には装甲兵員戦闘車が居座り、装甲車両が並んでいる
隙間を縫って出入りするので、とても不便でしたが、
ワルシャワ市民は湾岸戦争どころではなく、非常事態が宣言され
戒厳令が発動されてもおかしくない状況でした。
ドサクサに紛れて旧ソ連軍約100万が国境でポーランドへの
進撃態勢をとっていると報道されていました。
そのため、街のいたるとこで、活発に軍が動いていました。
湾岸戦争のドサクサには、世界各地で激変が起こっています。
ポーランドは、まだ有事には至らず、無事すんだ方でした。
1月17日都市伝説なるものが、巷に流布されていますが
その手のウワサの真偽がどうであれ、この日は、忘れがたい
記憶の日となっています。