2012.1.21.
(前回、といってもタイトルは1月17日ですが
その続きです)
湾岸戦争における空爆開始の日
ワルシャワで、ソ連軍侵攻に備える
緊張した空気の中で、世界の表やら裏やら
権力を握る人々と共にTVを見た翌朝
スタッフの姿が見当たりません。
東大大学院で国際政治を専攻し
自称、中曽根氏のブレインだったという
人物です。 ブレインだったかどうかは
??? ですが、ほんとにスタッフだった
ようです。英語は米国人にしては珍しく
癖が少なく、文書を読み書きしたり
何百ページもある契約書の詰めを延々と
夜中でもやり続ける、といった頭の体力は
凄まじい人物でした。 普通の日本人なら
まず知らない漢字もスラスラ書き、
何故か、毎朝5時には読経しているという
変な米国人でしたが、戦争の恐怖に耐えかねて
朝一に空港へいき、帰国してしまったのです。
当時、イラクへの攻撃に抗議し、PLOが
国際空港を狙ったテロを宣告していました。
また、アルカイダのビンラディン氏も
自分の国が戦場にならないから、
こんな侵略ができる、一度、自国が戦場になると
どれほど悲惨なのか、経験してもらうしかない、と
大規模無差別テロの警告を発したのでした。
また戦時下ですから民間旅客機がダイヤ通り飛ぶ
保証はありません。ましてや、ソ連軍が侵攻してきたら
ただではすまないでしょう。
とにかく日本へ帰らなければ、とすっ飛んで
逃げていったのです。 東京本社からは
夜中も何度も電話がありました。
非常時には、現場判断で行動するしかないのですが
あれやこれや、「ご教示」を下さるわけです。
「戦争の経験はないんだから、戦車の大軍をみて
びっくりしているかもしれないけど、、、」
とおっしゃるので、「いえ、市内に戦車部隊は
いません、BTR60型の装甲歩兵戦闘車の中隊が
動いていますが、あくまで治安維持が目的のようで、
対空部隊も含め、重火器は配備されていません。
主力は国境方面で展開中の模様です、、、」
こちらは淡々と語るのですが、本社では
世界各地に居る仲間の安否を気遣い
半ばパニックのようになる人もいました。
「他の社員は大抵、脱出して帰国しているのに
君は何をしているのか?」
「え、ケーキを食べています。」
「いや、そうじゃなくて、怖くないのか?」
「ま、どうせ、人はいつか死ぬんですし、
言っておきますが、アルカイダの攻撃目標の
第一は米国ですが、第二の目標は日本だって
言ってますよ、そっちこそ危ないのでは。
それに空港テロの予告が出ているんですから、
下手に出国しようと動いたら、かえって危険です。
ソ連軍? こないですよ。
首都に対空ミサイルがいないし、
要撃機も一機もとんでないんです。
まだまだ本気ではないんですよ。」
といった話をしながら、ブラッセルへ飛びました。
今、EUは崩壊危機に瀕していますが
湾岸戦争の頃は、EU統合プロセスの真っ最中でした。
医薬品の承認審査は、EU本部で一括という基本方針は
でていたのですが、細部をどうするかは問題だらけで
特にバイオ医薬品をどう扱うのか、まだまだ見えない
ところがありました。こうした問題を議論するため
EU本部のあるブラッセルに集まったのです。
ところが、米国人と一緒だったので
非常に危険でした。一人、米国人スタッフが
敵前逃亡していなくなったのは、好都合という
一面もありました。
丁度、米国大使館に着いた時
在ベルギー、イラク人300人が押しかけてきました。
その日、よりによって、ベルギー空軍がF16戦闘機部隊を
イラクに派遣すると発表し、激怒したイラク人が
米国大使館に押しかけ、ちょっとした暴動となったのです。
素早く逃げないといけないのですが、目立って逃げると
的になるので、うまくふるまわないといけません。
一方の米国人は、自分が米国人だとバレない限り大丈夫だと
いいます。
「何を言ってるのか、ヨーロッパで米国人がウロウロしていると
一発で分かる。 お前は典型的な米国人だ」
と言って、無理やり車に押しこみ、姿が見えないよう
シートに上体を伏せさせ、脱出しました。