2012.1.24.
(前回からの続きです)
戦争ムード一色のヨーロッパ諸国を回り
帰国したら、成田から夜中、車を飛ばして
山形県の十分一村というところへいき
払暁、ハンググライダーで飛んで、
また夜中、車を飛ばして成田から海外へ。
海外出張者がいやがる成田トランジットに
近い形で出張が続きました。
事故により重症を負い
手術中に心停止、呼吸停止、
更に多臓器不全となるまで
1ケ月ほどでした。
世界の人々が
湾岸戦争独占放映権を握った
CNNに釘付けになり
いつ地上戦が始まるかが
世間話の話題まで独占していたころ
バンコクへ飛びました。
バンコクはPLOが報復テロの標的とした
3つの国際空港の一つでした。
バンコク発着便はたった1便を除いて
全てキャンセルとなっていました。
大規模な戦争勃発となれば、
国際線の旅客機は報復テロの
標的となりやすい。
私も、本当に行くのか?
と、方々から聞かれましたが
なぜ、そう人は騒ぎ、
うろたえるのか、正直よく
わからなかったのです。
成田が安全という保障もない
きっと東京に居れば安全なんだと
勝手に思ってるんだろうなあ、、、
普段から、どこにいても危険なのに、、、
レバノンで戦争で死ぬ人より
日本で犯罪によって殺される人の方が
多いのに、、、、
バンコクを本気で攻撃する気なら
わざわざ予告はしないだろう、
そもそもテロ予告によって誰も
近づかないだろうから、
テロはやらないだろう、
むしろもっとも安全だと
平然と向かいました。
ところが、そのたった1便だけ
飛んだジャンボ機747の乗客は
4人だけでした。
もうそれですっかり安心しました。
空港には一機もいません。
飛び立つものは飛び立ち
そして着陸するものはなかったのです。
空港職員はたった4人の乗客のため
平常勤務となっていました。
この状況で、テロはやらんだろう、
意味はない、と安心したのでした。
その日は、タイ国営TVの特集番組の
取材が予定されていたので、おそらく
タイ政府からも手がまわり、1便だけ
飛んだんだろうと思いながらも、なぜか
TVクルーは空港にはいません。
テロを警戒して空港にはこなかったという
ことです。
当時、世界が注目していた新薬の開発担当でしたので
よく各国のTVや新聞に取材をされていたのです。
結局、政府施設まで訪問しての議論、取材と
なりました。
タイでは、湾岸戦争がどうのこうのよりも
エイズの話題でもちきりでした。
1988年にまず、僧侶の間にエイズが多発、
そして如何にもあの国らしいのですが、
僧侶からチェンマイ地方の少女に感染が広がり
国を上げて対策に取組み始めたころでした。
エイズは、輸血なども含めた
「直接的な接触」がなければ
そう感染する病気ではありませんが
当時は、エイズによって人類が滅ぶという
極論まで流布された時代で、
タイへ行けばエイズになる危険が高い
という風評まであり、旅行者が激減していたのです。