2012.6.10.
人類史全体を俯瞰すると
優秀な遺伝子をもった
先祖が、生存競争に勝ち抜き
競合他者が淘汰される中を生き抜き
進化して、万物の霊長として君臨した、、、
とは、とても見えないのです。
よくもまあ、生き残ったですねえ、、、
特に、強いわけではないのに、、、、、
と見えます。
アフリカ大陸の過半が海没した時期に
やむなく海に飛び込み、海辺の暮らしで
かろうじて生き残った類人猿が
海辺に適した直立二足歩行を始め
体毛が退化し、皮下脂肪を身につけ
涙を流すようになり、声がでるようになり
顔を水につけても平気になり、、、、
この時代の証拠となる遺跡も化石もでないので
何とも言えませんが、気候はかなり温暖、
豊かな魚介類や海藻、大型の捕食者はあまり
近くにはいない、そういう、人類史の中では
大変、恵まれた環境でもあったのでしょう。
大型肉食獣が走り回るサバンナへはいきなり
出ていったわけではなく、東アフリカ大地溝帯に
沿って広がったあと、何百万年という時間にわたって
湖のそばにはりついていたようです。
ワニがいるだろう、と気になりますが、
塩水湖がたくさんあり、淡水湖に比べると
かなり捕食動物は少ないです。
実際、さまざまな大地溝帯の湖をまわりましたが
塩水湖と淡水湖では、まったく緊張感が違います。
もちろん、実際に、猿人がどういうところに住んで
いたのか、細かくわかっているわけではありませんので
塩水湖にいたんだろうなあ、、、というのは
単なる憶測です。
氷河期は最悪。
厳しい状況では、仲間を食べて生き延びたのです。
では、100万年も続いた氷河期のあと
大きく氷河が後退し、また戻ってきた8000年前。
その後は、温暖な気候の下、人類は平和で豊かな時を
過ごしたのかというと、確かに、食糧は容易に手に
入るようになり、人口も増え、遺跡が残るような
建築物や大きな集落もでき、古墳もできたのです。
ところが、どうにも、やるせないのが
「生贄」です。
これは、どこでもつきまとうようです。
トラキア人アレキサンダー大王が、東方大遠征の神託を
受けたとされるトラキア、ペりぺリコンの聖山の頂に立ち
神聖な空間の中で、ふと見下ろしたところにあった
儀式台。 7000年前に使われていたものとされる
石の台の映像は脳裏から離れません。
そこで、何人の人が、自らを捧げたのでしょうか。
あくまで、神話や伝承ですが、もっとも美しい人々が選ばれ
進んでわが身を捧げた、、、 そうなのですが。
南米のピラミッドなどでも、地下からたくさんの
生きたまま埋められた少女のミイラがみつかります。
一応、縛られていますから、そうしないと抵抗したのかも
しれませんが。 ピラミッドのいただきで執り行われた
聖なる儀式の話は、いくらでも伝わっていますし、
絵も残っています。
せっかく、生涯、食糧が手に入る時代がきたのに
なぜ、人類は、延々と、仲間、それも敬意を集めるような
仲間や若い命を、進んで、あるいは、半ば強制的に
「捧げた」のでしょうか。
この手の話は、いくらでもあるというより、古代史を
調べると、避けて通れない問題となります。
これ以上、生々しく書くのはやめますが
古代より伝わる人類創生の物語は
それはそれは、得心のいかない、
こんな歴史がもしほんとうなら
絶対に変えないといけない
そういうもので満ちています。