藤井真則のブログ

このブログはリンパ球バンク株式会社の社長時代に、会社社長ブログとして会社HP上に掲載されていたものです。ちょうど還暦を迎えるタイミングで社長の責を後任に譲り一時は閉鎖しておりましたが、再開を望まれる方もいらっしゃるため、別途個人ブログとして再掲載するものです。ANK療法という特定のがん治療に関しては、同法の普及のために設立されたリンパ球バンク株式会社のHPをご覧ください。
本ブログは、あまり標準的ではない特殊な治療の普及にあたり、「常識の壁」を破るために、特に分野は特定せずに書かれたものです。「常識とは、ある特定の組織・勢力の都合により強力に流布されて定着したからこそ、常識化した不真実であることが多い」という前提で書かれています。

TOP

2012年06月30日

  

えとせとら

2012.6.30.

NHKで、大英博物館の貯蔵物の調査を元にした
番組をやっていました。
第一話は、古代エジプトの庶民の暮らしや
人生にスポットをあてたものでした。

大英博物館ほど、不快を通り越して
怒りを覚えた博物館はありませんが、
中でもアフリカ展はひどいものでした。

刃物や凶器を組み合わせて、奇怪なロボットのような
ものが一体、ポツンと「アフリカ展示室」の中央に
立ててあり、壁のパネルは、飢えや虐殺の写真が
何枚か。 それだけです。 場所も目立たない地下でした。

暗黒大陸といいたいのでしょうが、
よくもここまで、他の文明や人々を
見下せるものです。

古代、壮大なスケールの文明がいくつも
ひしめいていたアフリカ。
日本ではお目にかかれない資料を
観ることができるのかも、と
楽しみにいったのに、いくら何でも
ひどい展示でした。

その後、二度といかなかったので、今は、どんな
展示になっているのかしりませんが。

もっともアフリカといっても
古代エジプトは別格扱いで、展示物の数は
すごいものがありました。 もちろん、これ全部、
分捕ってきたものです。

奈良の正倉院の宝物は、遠くペルシアから運ばれてきた
交易品か贈答品でしょう。 飛鳥の都を発し、ペルシアまで、
宝物の泥棒におしかけて、分捕ってきたものではないでしょう。
もちろん、本当はどうだったのか、事実はわかりませんが
少なくとも、大英博物館とは全く違って、「尊厳」を守り
とても大事に扱っています。 ペルシア文明への敬意を感じます。

世界帝国ペルシアの精神の都、ペルセポリスには、世界各地から
宝物の数々が、諸民族の手によって、運び込まれました。

その点、大英博物館の宝物は、もちろん、強奪か、盗んできたものです。

あるいは、正式に正当な対価を支払って、あくまで紳士的に
泥棒から買い取ったもの、かもしれません。

日本でもそうですが、泥棒から何かを買っても、
「善意の第三者」であれば、所有権を主張できます。
えっ!? ドロボーさんだったんですか、、 いやあ
全然、気づかなかったですねえ、、、 当然、正当な
所有権をお持ちの方から、然るべき対価をお支払して
買わせていただいたもの、いや、私は今でもそうであるはずだと
信じているのですが、、、
ということなら、ことの発端は、ドロボー行為があったとしても
善意に基き、買った人なら、「正当な」所有権を
手にすることができます。

うちの土地だ、権利をもっているんだ、まあ、売ってやってもいいが
金を払えば、、、  ところで、なんで、「うちの土地」なんですか?
誰から買ったんですか? いや、先祖代々、うちの土地なんだ!
では、一番、最初の人は? 必死に働いて耕したのかもしれませんが
最初は、誰のものでもなかったはずです。 誰かが、自分のものにしたのです。

石油の採掘権を正当に購入して石油事業を展開するのは合法ですが、
では、一番、最初に、石油採掘権を手にした人はどうやって?
ま、この辺にしておきましょう、、

ところで、NHKの番組では、ある種、お定まりのパターン通り、
3200年前の一般人の人生を綴るもので、「現代人と変わらぬ意識」を
もっていた、という印象を与えるものです。

この3200年前というのは、微妙な年代です。

その少し前、本来の古代エジプトは滅亡しているからです。

滅亡といっても、人間が一人残らずいなくなったのではなく
ピラミッドを建造した古代エジプト人とは、あまり関係のない
人々が住み着いていたのです。

丁度、旧約聖書が書かれた時代、今日の社会の基本要素が
固められた時代の物語です。現代人と共通する意識が見受けられるのは
当然のことでしょう。

さて、ピラミッドは、ごく短期間の間に一気に建造され、最初の一基こそ
小さなものだったものの、その後、いきなり最大級のものが、次々に建造され
やがて、だんだんと、あとから作られるものほと貧相なものとなり、そのうち、
ひじょうに小規模なものしか作られなくなり、ほどなく、一切、建造されなくなった、
そういう話になっています。
そうなってから、1000年を経た時代の一般人の就活やら、勤務状況についての
物語なのですから、もはや、ピラミッドを作った人々とは、完全に、異なる
人々ということになります。

そもそも、現代人と同じ意識の人々が、あんな巨大なピラミッドを
次々と建造するはずはありません。 何のために? となるはずです。
現代の日本において、ギザのピラミッドに匹敵するものを建造する、
と発表したら、どうして? 一体の何の目的でそんなものをつくるのですか?
そんなもん、何すんねんな、なんぼ儲かるんや? という声があがるはずです。

どうかんがえても、ピラミッドをつくった人々は、NHKの番組に登場した
3200年前の人とは、異なる生き方をおくったはずです。

>>全投稿記事一覧を見る