2012.8.2.
学校の授業では、
オリンピアの競技は
各ポリスがバラバラだった
ギリシア世界が、一つに
まとまるために各都市代表の
選手が集まって競技大会を
開いたのである、と習いました。
どうやら、当初は、そんなことは
関係なく、あくまで神々の競技だったようですが
やがて、各ポリスの勢力争いを反映するように
変遷していったようです。
もっとも、各ポリスは、各々の神の名を
語る存在であって、各ポリスの争い=神々の争い
という構図でもありますが。
政治的な色彩が強くなってきたころ
圧倒的な強さを誇っていたのはドーリア人の集団
特に、スパルタ式教育で有名になったスパルタが
毎年のように優勝をさらいました。
スパルタでは、幼子のうちから、親と隔離して
徹底的な軍隊式教育を施したとされています。
これがおもしろくないイオニア人。
中でも、アテナイは、何とかして一泡吹かせようと
画策します。
そして、イタリア半島から、屈強な若者を銭で雇って
競技に参加させるようになりました。
アテナイの雇い選手に、散々、打ち負かされたスパルタは
後日、復讐をします。
両ポリスは、ペロポネソス半島で激突、全面戦争に突入します。
一進一退の攻防が続いたあと、スパルタは、アテナイの食糧供給基地であった
シチリア島へ侵攻、糧道を絶ったこの作戦は奏功し、ついに、アテナイは
スパルタに屈します。
主導権を握ったスパルタは、オリンピアの競技から、金をもらって参加する選手を
排除します。 今日の、プロかアマかという論点と、ずれはありますが、
かくして、オリンピック競技に、プロの参加は禁じられたのでした。
別に、アマチュアが純粋で、プロフェッショナルは純粋ではない、
ということではないのです。
純国産が強いスパルタと、強力助っ人を雇うのが得意なアテナイ、
どっちが、戦争や外交で優勢かによって、プロフェッショナルが認められるか、
禁止されるか、という違いだったのです。