2012.8.17.
昭和20年8月15日に大東亜戦争が終わったわけでは
ありませんが、8月15日を終戦記念日としたのは
何と、昭和57年だったのですね、それは忘れておりました。
パスポートをもって沖縄へ船出した父を見送った記憶や
沖縄返還、日中国交回復などは鮮明に記憶にありますが
終戦記念日をこの日にしました、という閣議決定は
そういわれれば、そうだったような、、、という程度の
曖昧模糊とした感じしかありません。
(もっとも、沖縄「返還」といっても、琉球は歴史的に日本とは
独立した国でしたし、日中の「回復」といっても、
「中国」という国は、歴史的には存在しません。
モンゴル帝国が今日のいうところの「中国」の基礎をつくり
明や清は、概ね、モンゴル帝国のうちの「元」を継承しましたが
これらの国は、特に、清の場合は、支配民族も異なり
基本的に、今日の中国とは別の国です。
回復したのではなく、大東亜戦争後につくられた、
中華人民共和国という新しい国と、初めて、国交をもったのです。
韓国や北朝鮮も、大東亜戦争後につくられた国であって、
李氏朝鮮といった国はありましたが、韓国や北朝鮮という
国は、歴史的には存在しません。)
国際的には、8月15日というのは、あまり認識されていません。
ソ連にとっては、何の意味ももたない日であり、その後も、
満州、千島方面で、日本軍と「戦争」「戦闘」あるいは、
勝手に「進駐」を続けています。
外交上は、今日でも、日露は戦争状態にあります、
従い、「終戦記念日」という概念はありません。
米英にとっても、終戦といえば、戦艦ミズーリ艦上での
無条件降伏調印です。 では、周辺諸国にとって、
8月15日はどういう意味があったのか。
中国、北朝鮮、韓国、台湾にとって、8月15日とは
如何なる意味があったのでしょうか。
意味があるとかないとかいうより、昭和20年8月15日には
これらの国は存在しなかったのです。
その後、サンフランシスコ平和条約が調印されますが(通常、
講和条約と訳します)、ソ連をはじめ、周辺諸国は調印は
していないわ、会議にも参加していないわ、フォルモサは
今日でも、このことを、痛烈に批判しています。
(フォルモサ、というのは、日本では一般に台湾とよんでいる
国です。 もっとも、国とは認めない、とするもめごとが
今も続いているわけですが。
タイワン、という言い方をすることはありますが、
あまり一般的でなはないですね、フォルモサと呼ぶのが
適切でしょう)
要するに、すべて、あいまいなままに、東アジア諸地域では
人為的にひかれた国境によって隔てられた「新興諸国」が
つくられ、ありえないような、えげつない内容の
サンフランシスコ平和条約が締結され、
日本は永久に連合軍諸国に国家主権を認められず、また、
資産収奪の自由を与え、さらに、周辺諸国への戦後賠償を
いまだにつづけ、周辺諸国が互いに反目し合う構造の中に
いるのです。中国と韓国は特に先鋭に対立しますが、
いい加減に、「われわれ」東アジア諸国にとっての、
真の敵を見極める時ではないでしょうか。