2012.12.21.
ずいぶんと更新しない日を重ねてしまいました。
ほどなく、人類滅亡の日とも紹介されてきた日から
新しい時代が始まる日へと日付がかわります。
日本では、部分的にしか報道されないため
単なる当てモノか、都市伝説の類と思われがちですが
欧米エスタブリッシュメントにとっては、
2012年12月22日は、「終焉」の日であり
実際、そうなっている、という認識でしょう。
もちろん、人類が終わるわけではありません。
彼らの時代が終わる、ということです。
聖書にでてくる「羊飼い」の時代が終わる
という意味です。
聖書の原典の中でも重要なものに「エノク書」があります。
教会がひたすらもみ消そうと躍起になったものの
エチオピア正教が何千年の時を超え、焚書を逃れ、大切に保管していました。
それが、死海文書の発見が契機となって公開されました。
残念ながら、とても読めないので、日本語訳しかもっておりませんが、
「羊飼いは追放され」
そして、「人の子が玉座に座る」とあります。
新約聖書には、「羊飼い」と「羊」のメタファーが
よく登場しますが、ボーっと読んでると、
羊飼いが神様のようにも思えてしまいます。
ところが、原典を読めば、明確に、神々と人々の
間に、羊飼いが存在します。
神ではなく、神々ですが。
ちなみに、聖書を読めば、だれでもわかりますが
キリスト教は、「一神教」ではありません。
たくさんの神々が登場します。
もっとも、「羊飼い」達は、自分たちが権力を
握る時代が終わることを、ひたすら隠し続けてきました。
そのため、ヨーロッパでは、オリジナルの聖書は
ほとんどが焼き尽くされたのです。
ヨーロッパの貴族が聖書を読みたければ、イスラム世界へ
留学するしかなかったのです。
ヨーロッパの教会では、聖書の朗読の時間はあっても、
聖書には書いていない作り話、死んだら天国へ行くだの
地獄へ堕ちるなど、聖書のどこにも書いていない
いい加減な話で、人々に恐怖を与え、真実から目を
そらしてきたのです。
今、大量印刷されている「正典」は、ほとんどが
後世の作り物です。
そして、どうせなら、と、人類丸ごと、ぶっ飛ばす画策も
してきました。 実際、大量の核兵器や生物兵器が
存在します。
一般にも報道されているのですが
正確な知識があれば、とんでもない規模の
ウイルス工場が、2012年の冬を目指して
建設されていることがわかります。
別に、秘密にもなっていないのです。
そして、実際に、使う気になれば、使えます。
また、パンデミックウイルスの種を合成してあることは
公然と発表されています。
ノロウイルスで1000人の犠牲、と報道され、
それは、大変、悲しいことではありますが、
これをパンデミックと報道するのは、
オーバーすぎます。
日本人なら、たとえば数百万人、
場合によっては、1億人くらいが命を落とすような
ウイルスを、本来はパンデミック級と呼んでいたのです。
(後日注:今日の定義の上では各国対応で制御できない多国におよぶ
広域感染となればパンデミックと呼んでしまいます。)
2012年12月22日、あるいは、21日というのは、
天変地異が起こる日とされてきたのではありません。
大量の生贄を捧げる、大規模な虐殺が行われる日、
ということだったのです。
実際に、その日に実行されるのではなく、
実行開始予定日は、11月9日でした。
そこから、効果が波及していくわけです。
もちろん、実行するのは、人間、それもテロリスト
などではありません。
そして、人知れず、真剣にこの暴挙を阻止する人もいます。
日本では、あれ、大した話じゃなかったね、
で、終わってしまうのでしょうが、
後世、2012年は、人類史上、最大級の決戦の時と
記されるでしょう。 日本の報道をみていてる限り、
どこにそんなことが書いてあるのか、という感じですが。
とんでも話に思われるかもしれませんが、
では、なぜ、これほど人類は戦争を繰り返し、
なぜ、こんなに大量の核兵器や生物兵器が
存在するのでしょうか。
どう考えても、理屈に合いません。
戦争をするには多すぎる量の
大量破壊兵器が存在します。
なぜ、このような理屈の通らないことが
まかり通り、そして、世界の人々が
現状を変えようとはせず、異常な状況を
甘んじて受け入れてきたのでしょうか。
半端ならざる力が働いてきたから、
こうなっているのです。
軍需産業が儲けるため、そんなしょうもない
話ではありません。 そんなことをしなくても
ドルを印刷できるのですから、今更、儲ける
必要などないのです。
大量破壊兵器は、あくまで、「実際に使う」
前提があったから、大量生産されてきたのです。
ところで、かつて、ノストラダムスの予言が
大きく取り上げられた時代がありました。
フランスへ行くたびに、当地の知識人からは
ボロクソに非難されました。
日本人はフランス語がわからない上に
ましてや、フランスの詩はまるで理解できないらしい、と。
1997年に人類滅亡など、どこに書いてあるのか、
ということでした。 あの詩をどう読めば、
そんな曲解ができるのか理解できない、というのです。
ノストラダムスは、ある王の死に様を正確に予言したことで
歴史に名を残していますが、フランス人にとっては
尊敬を集める歴史的ヒーローだともいわれました。
確かに、ペストが大流行していた時代
対策法がわからず、人口の4分の1~3分の1が
命を落とした国もあったわけですが、
ノストラダムスは、病死者の死体を掘り起こしてでも
火葬にし、感染者がいるところ、居たところに
強い酒を口に含んで吹き付けることを人々に指導しました。
教会の説得は大変だったようですが、言われた通りに
すると、確かに、流行は収まり、大変、感謝された、
ということです。
細菌学が確立する前の時代に、
防疫対策を人々に教えた真の予言者ということです。
偉大な預言者の詩とは、彼らにとって
神の言葉の代弁なのであり、それを日本人が
勝手に曲解する、というのは、悪魔の所業と
考えられてしまうのです。
日本人は、ええ? ちょっと間違えただけやない、、、、
ぐらいに思うわけですが、あちらの世界の人々にとっては
法律違反よりもはるかに重い大罪ということになります。
日本では、予言というと、占いとか、当てモノという
軽い感じでとらえられますが、欧米をはじめ、世界の
ほとんどの地域では、予言というのは、「預言」であり
「神の言葉を預かる」という意味です。
神の言葉なのですから、必ず実現する、そういうものと
とらえられています。 100円ほど、お賽銭をあげて引いた
御神籤には、何と書いてあるか、そういうのとは
重みが違うのです。
日本では、マヤ歴のことばかりが報道されますが
2012年問題というのは、シュメールやギルガメッシュ、
エジプトをはじめ、古代から連綿と各地に
伝わる誰が人類をつくり、なぜ、人々は延々と
生贄を捧げ続け、そして、人類はこれからどうなるのか
という根源的なテーマの一部をなすもので、
概ねの考え方のアウトラインが、
映画「プロメテウス」などで
表現されています。
現代においては、進んで生贄になります、
などという殊勝な人はいませんから
「生贄の日」には、大事故を起こすなど
「羊飼い」達が、勝手に一般人を犠牲にします。
殺された側には、不幸な事故とか、何か狂信的な
テロリストの暴挙にたまたま、不幸にして
あたってしまった、と見えるわけです。
そのため、悲惨な事件が起こる日というのは、
ある程度、予想がつきます。
たとえば、旅客機の場合、イラン航空と
ルフトハンザの一部機体を除いて、
パイロットが何をしようが、地上から
完全に遠隔操縦が可能であり、また
エンジンも、すべて、地上から制御可能です。
世界のFA工場は、これもまた、
モーター1個ずつまで、遠隔制御できます。
当然、テロリストごときが、9.11事件を起こすなど
常識的にはあり得ないことなのです。
さて、世界を動かす大元の力が入れ替わる時代を迎えても
とりあえずは、そう、表面的に、あ、この日に変わった、という風には
見えないでしょう。 ですが、戦争さえ起こしておけば
不況を脱するという過去の手口は使えなくなっており
世界経済システムも根本的に変革せざるを得なくなっています。
まだ、2015年問題というのが残ってはいますが、
これから、どんどん加速をつけ、世界は変わるでしょう。
これまで常識とされてきた作り話が、次々と化けの皮がはげ
何事も、透明度が増していく時代となっていくでしょう。