藤井真則のブログ

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2016年09月26日

  

えとせとら

改めて「学校で教わった」日本史について

整理してみますと、、、

 

戦後は、「日本国」、明治維新後は

「大日本帝国」と、国号に「日本」が

使われていますが。

 

その前の時代は、よくわかりません。

 

倭寇はでてきても、「日本寇」は

登場しません。

あくまで、「倭(ワ)」なのです。

「ジパング」の方が先にでてきます。

 

「日本書紀」は登場しますが

その前に、「日本」はでてきませんし

日本書紀も、なんで「日本」なのか、

という説明はなかったです。

 

 

 

そして「日本史」で教えるのは

ほとんどが、青森~鹿児島の範囲。

 

小舟一艘でわたることができる朝鮮半島は

「世界史」で扱われ、日本の歴史と

「世界」の歴史のリンクについては

明確に教えられることなく

突然、元寇が襲来、とか、

突然、黒船が来たんだ、とか、

国外が関係する事件は、常に

突発的に登場します。

 

 

6世紀あたりから、ポツポツと

人物の固有名詞やらが登場しはじめますが

仁徳天皇陵や、倭五王武の巨大古墳群など

おそらく、「日本?」が最も栄えたころ

巨大な土木工事が各地で行われた

4世紀末~5世紀前半の時代については、

ほとんど何も教えられませんでした。

 

時代が下り、

聖徳太子などの蘇我氏が登場し、大化の改新

飛鳥~奈良~平安 と時代が下っていく

という流れの中で、日本の国家の基盤が

築かれ、そのあとは、あんまり変わらない、、、、

ま、実際、そうかもしれませんが、じゃ、

その前の時代は? というと、

ほぼ何も教えられていません。

 

長い縄文時代が続き、

そこへ紀元前3世紀をピークに

弥生が侵入してきた、、、

 

そのあとは、倭国大乱、邪馬台国に卑弥呼と

古代史論争定番ネタが突出的に取り上げられ

その前後の話は、ほぼない、という

授業でした。

 

 

ところで、卑弥呼はどこにいたのでしょうか。

これは、今では、明確になっています。

 

どこにでもいたのです。

 

「ヒメミコ」 女性の巫女さん、という

普通名詞ですから、誰か特定の個人の

ことではなく、いたるところにいたのです。

 

その中で、邪馬台国で、「卑弥呼」役の

職業についていた人が、名前はわからないわけですが

後世、大いに論争の種になった、ということです。

 

 

さて、弥生が侵入、それで片づけてしまって

そのあとは、なぜか、「倭(ワ)」に化けるのですが

よく渡来系という言葉もでてきます。

倭人こそ、渡来系の権化のはずですが

倭人を渡来系という言い方はしません。

 

弥生はどこにいったのか。

どこからきたのか。

弥生人は全員、日本列島に引っ越して

元の場所には残らなかったのか、、、、

 

世界史の授業に、「弥生」はでてきませんでした。

 

 

豪快に話が、とんでいるのです。

 

 

海の中から突然、現れたとでもいうのか。

「進撃の弥生、いざ日本列島へ!」とか

「古代戦艦ヤマト発進!」物語などが、

世界史の中に登場しないのはおかしいです。

 

 

こんなものを教えられて、こんな授業なんか

信用できるか! と、子供心に憤慨しておりました。

 

地域的にも日本史と世界史に区分しているやり方が

気に入らなかったのですが、各時代のつながりも

分断され、じゃ、弥生人はどうなったのか、、、、

の答えはどこにもなく、そもそも、日本史の授業なのに

「日本」がほとんどでてこない、、、、

 

弥生、倭人、日本、、、、

縄文人は消滅したのか?

蝦夷と縄文人は同じなのかどうか、、、

アイヌもでてくるけど、、、

 

地理的にも、時系列においても

完全に分断されて、どこどこの何時代の歴史です、

その前後や、周辺のことはなんにも教えない。

 

こういう授業でした。

 

 

なんという嘘で固めた歴史を教えるのか、と

憤慨していたのを覚えています。

 

 

では、弥生とは、どこからきて、

どのような人たちだったのでしょうか。

 

日本列島以外にはいなかったのでしょうか。

 

倭人はどこからきたのでしょうか。

どういう人たちでしょうか。

 

 

魏志倭人伝の解釈論が邪馬台国論争の

土台でしたが、邪馬台国が九州にあろうが

畿内にあろうが、どっちの論陣にしても

論争の前提に大きな間違いがあります。

 

 

魏という国。

つくったのは倭人です。

え? 日本人が中国に侵入して

魏をつくったのか、、、、

 

違います。

 

倭人は、日本列島の外にも

いたるところにいたのです。

 

魏志倭人伝は、

「倭人」の物語なのであって

「日本人」の歴史に

特化しているのではありません。

 

 

(つづく)

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