旧大日本帝国海軍 イ号潜水艦58号 である可能性のある潜水艦の船体のおよそ半分が海底に突き刺さった状態で発見されたというニュースが流れています。
もっとも同型艦の可能性もあるとされています。
イ58潜 といえば、子供のころ代表的な英雄のひとつでした。
原子爆弾輸送任務についていたとされる米重巡洋艦インディアナポリスを魚雷攻撃により撃沈したとされています。
子供のころは、広島、長崎に投下する原爆を運んだあと、更に3号目の原爆を運んでいたという噂がありました。
3号目を搬送中に撃沈されたという話は事実ではなかったようですがもし、イ58潜が敵艦を撃沈していなかったら3発目の原爆が落ちたのかもしれないとほんとうにありがとうと、感謝していたのでした。
イ58潜は、いわゆる人間魚雷「回天」を搭載し、哨戒任務中、単艦で行動中の敵重巡を発見、通常の魚雷攻撃を仕掛け見事に撃沈しました。
「回天」は潜水艇というより、魚雷を改造したような超小型潜航艇に人間が二人のり敵艦に命中するまで操縦することで命中精度を跳ね上げるというもので米軍も最後まで、抜本的な対策が立てられない日本の特殊兵器の一つとして恐れていたものです。太平洋の戦場にあって、なぜか護衛の駆逐艦をつけていない対潜装備をもたない重巡洋艦で、それも真っ直ぐに腹をさらしながら、射線上を横切っていくということで、無誘導の真っ直ぐ走るだけの通常魚雷でも確実に仕留めることができました。
もっとも、通常魚雷の方がはるかにスピードが早く、状況によっては通常魚雷の方が確実ということもあります。
逆に、執拗に追撃してくる敵駆逐艦2隻を回天2隻を放つことで、両艦とも撃沈し母艦の潜水艦が救われたこともあり、向かってくる敵には、回天は極めて有力な兵器です。
インディアナポリスの水兵さんたちが原子爆弾をつくったわけでも使おうと考えてわけでもなく、ただ、任務で船に乗っていただけで何か自分たちの乗艦が非常に特殊な任務についており極秘の大きな物を運んでいることは誰もがわかったはずですが、当然ながら一般水平には原子爆弾に関する情報は開示されず原爆プロジェクトを推進してきた陸軍関係者が搬送責任者として乗り込んでいました。 撃沈された時は日本本土を原爆攻撃する専用部隊が展開する専用基地であったマリアナ群島テニアン島へ原爆を搬送した帰りでした。
単独航行でしかも隠密任務についていた艦であったこともあり、インディアナポリス撃沈の事実は米海軍になかなか認知されませんでした。あっという間に爆沈し救難信号も出せず乗組員の7割が命を落とすことになります。 この船はスプルーアンス提督が好んで艦隊旗艦として用いていました。つまり自分自身がタスクフォース(機動部隊)の司令官の時には空母ではなく通信機能や司令部スペースが高速艦の中では充実していた重巡洋艦の中でも、特に故郷の名を冠するこの船には愛着があったようです。流石に機動部隊に随伴できる新型高速戦艦が続々と就役するとなんでこんな古いポンコツを使い続けるのかという声もあり乗艦を変更しましたので原爆輸送任務に就いたころは「割と空いている船」でした。 なおミッドウェー海戦の際にはスプルーアンス提督は「駆け出しの新人」デビュー戦であり本艦に乗るというわがままは通らず空母エンタープライズを旗艦として乗艦しています。
さてインディアナポリスですが、もちろんこの艦艇なり乗組員なりが憎いわけでもなくむしろ水兵さんたちは、犠牲者以外の何者でもないのですが原子爆弾を投下された国の国民として被爆者の子供として白血病で死にかけた者として、仲がよかった原爆二世の従兄弟が白血病で亡くなった者として、原爆輸送艦を「撃沈」したことは快挙だったのです。
やった、やられたの恨みは、新たな戦いを生むだけで殺し合った不幸を乗り越えなければいけません。インディアナポリスの生き残り乗組員と撃沈した側の橋本艦長の親族とは交流を重ねたそうです。
インディアナポリス乗組員は、極秘任務を果たしたあと海のど真ん中であっという間に乗艦が沈められ米海軍から忘れ去られ、5日間、ほったらかしにされます。サメにみんな食われた、と言う話も聞いたことがあり映画ジョーズにも、この艦のことが登場しますが実際は、みなサメに、ということではなかったものの漂流中に亡くなった人が犠牲者の過半を占めていました。
戦後、タンカーの船長に転職された橋本艦長が瀬戸内海で、よりによって後輩にあたる自衛隊の潜水艦と衝突事故を起こされた時には何か複雑なものが去来しましたが、日米双方の戦史に残る稀代の名艦長ももう、この世の人ではありません。
今回、みつかった船体は、イ58ではないのかもしれませんが、日本の核武装を事実上容認している日米原子力協定更新直前の時期に何かメッセージを送っているのでしょうか、、、、