2017.8.1.
(41)回目ですが、
人類史シリーズは、このブログの中で
一番、長い連載となっています。
(39)の後、永らく中断しておりました。
3万年前ころの栽培植物の確立と農耕の成立
5千年前あたりの文明の成立
メソポタミアより遥かに古い大規模農耕集落や都市の成立を
文明の成立と定義しないのには
深い背景があります。
このあたりから、書きにくいことが増えます。
書くのは書けるのですが、誤解・曲解を
生みやすいものになります。
(40)で、書きにくいことの一つを
書きました。
生贄というテーマだったのですが
生贄と農業もきってもきれない関係にあり
なんで、人々は、生贄など、誰の得にもならない
ことをやったのか、それも、
自らの心臓をすすんで捧げたのです。
これをどう理解するか、といっても
とても理解はできないのですが、
古代、生贄は、そういうこともあったという
レベルではなく、必須のものだったのです。
なんでそこまでするのか、について
書いたのが、(40)回目でした。
さて、私たちが、普段、口にする植物の
大半が、原種とは似ても似つかぬもので
元々、人類が食べれるような代物ではありませんでした。
木の実や、果実、野イチゴ、ハーブなどを除けば
野生の植物は、人間なんぞに食われるか、と
栄養価が低い、種が硬い、そもそも実がほとんどない
実が小さく、少しずつバラバラに飛んでしまう
毒がある、などなど、とても食べられなかったのです。
これを食べられるようにしたわけですが
最初から品種改良の手法をわかっていないとできない
観たことも食べたこともない目標とする栽培植物を
どうやってイメージしたのか
目的の栽培植物をつくるプロセスにおいて
中間型の雄性不稔種などは、何の役にもたたない
それをいったん、わざわざつくった
自分が生きている間には成果は得られない
栽培植物の遺伝子を調べることで
古代人が、概ね、現代と同じ手法で
品種改良をしていたことがわかっていますが
なんで、古代にそんなことができたのか
どう考えても、人間技ではない
正に、「神業」なのです。
現代に生きる私たちは古代人の
神業について、ふだん、考えることもなく
稲穂はたわわに実るのが当たり前になっています。
稲も麦も、野生種では、当然、一発で種が全部
くわれてしまうような馬鹿なことはせず
種は、少しできては、すぐに落ち、一度に
まとめて多くの種が穂に実るようなことはありません。
バナナや、芋は、種を植えるのではなく
株分けで増やしていますが、あれは、
一度、確立した特殊なものを
クローン栽培しているのです。
ちなみに、バナナの原種は食べるところがありません。
芋だと思っているものは、実は、「腫瘍」です。
がんだらけの病気芋をつくりあげ、
それをみんなで食べているのです。
文明の成立には、「神」
あるいは、「神のような存在」を
抜きに語ることができない
これが、世界の常識ですが
日本では、え? 神様??
大阪だと、神さんもちだすんかいな?
そら、説明めんどうな話、なんでも神さんの
おかげにしといた方が楽やさかいなあ、、、
となってしまいます。
戦後の日本は、特に、神観念や宗教への理解が
崩れ、おそらく、95%以上の人類が何らかの
明確な信仰をもつ現代においても、宗教について
問われれると、無宗教と平気で答えます。
世界で、無宗教と答えてしまうと、こいつは
「物を考えることができない馬鹿」と
思われてしまいます。
人類史ですから、他の動物にも共通のものは
棚に上げておけばよく、逆に人類のみの特徴に
ついては、いつから、なんで、そうなった、、、
について探求が必要です。
精神の発生
いつから、どう精神が生まれたか
人類史シリーズは、ウォーレスの進化論から
始まります。
ウォーレスはプリンピキア(種の起源)を書き上げましたが
自分が考えた進化論では、精神の発生を全く説明できない
つまり、間違っているのだ、と考えるようになり
プリンピキアの発表はしない決断を下します。
これを勝手に、ウォーレスの名前を消し去り
自分の名前で発表した、大泥棒、今なら盗作作家が
チャールズ・ダーウィン卿 です。
ヨーロッパで、精神と肉体を別のものに
してしまう哲学が生まれ
健全な肉体にも健全な精神を!
という自分は健全な精神を宿していると
思っている貧弱な肉体の持ち主のボヤキも生まれました。
なんで、体が丈夫な奴にかぎって、あんなに愚かなのか、
という意味です。
これが、後日、健全な精神は健全な肉体に宿ると
誤訳? されます。
やがて、人間を単なる物質が集まった機械のように考え
精神が失われていくと、病気が増え、人口爆発がおこり
環境破壊が一気に進みます。
さて、栽培植物の研究からは、人類による植物の
改造は、おおよそ、3万年前から、と考えられていますが
その時代の農場らしきものもみつかっています。
ただ、大規模な農業集落や、都市となると
1万1千年前、エラン王国の都市遺跡をはじめ
概ね、1万年前あたりから。
それより古いものが平地に
存在していたとしても
海水面の高さの変動によって
今は、水深200メートルの大陸棚に
沈んでいるはずです。
学校で習った世界史の巻頭の言には
「謎のシュメール人が、シュメール文字を伝えた。
人類初のメソポタミア文明の成立である。」
細部は忘れましたが、そのような内容の文言をみて
これから嘘を教えると宣言されたことに衝撃を
受けました。
「文字の使用」
これが文明の定義なのか、ということは
とりあえず、ふううん、と受け止めたのですが
いや、文字を発明した方が偉いだろ、とか、
シュメール人がどこかから来たのだから
そのどこかの地の方がメソポタミアより
古いだろうが、など、疑問がいくつもあります。
文字の使用や発明の前に
言語の使用、発生があったはずです。
精神なき創造はありません。
新しい文明の発生には精神が必要です。
改造は意識でもできます。
文字といえば、アルファベット。
フェニキア人が発明し
その後、アルファベットの改造は行われますが
人類史においても、オリジナルな文字は
数えるほどしか発生せず、後は、その模倣や
改造、組み合わせ、などです。
ピラミッドも、ごく初期に、いきなりギザの
三大ピラミッドがつくられます。
それより古いのは、小さなジグラッドがぽつんと
ありますが、最初に一番すごいのがドカドカっと
つくられ、その後、どんどん小さくなり
形も歪になっていき、やがて、ピラミッドは
どうやってつくったかなど、分からなくなっていきます。
ある時、突然、新しい文明が生まれ、その後は
枝分かれや融合によってバリエーションを増やしていきますが
生まれた時にはもうあったものを学ぶことから始め、
昔からあるものを覚えて使う人々からは
新しいものは中々、生まれてこなくなります。
現代人は、ピラミッドはどうやって作ったのか、、、
と疑問をもつわけですが、何のために作ったのかについては
そこまでは考えません。
勝手に、「墓」だと思ってきたのですが
ピラミッドは実際に墓である可能性があるものの
墓であるとする確実な根拠はありません。
では、何のためにピラミッドを作ったのか。
ピラミッドがいつできたのか、正確には
わかりません。
意識がいつ生まれたのか、これも正確には
わかりませんが、概ね、6500年前と
考えられています。
諸説あるのか、というと、あまり説の数自体が
ないので、まあ、一応、6500年前と
しておきましょう。
ピラミッドができたころに意識の芽はあったのかも
しれませんが、「目的意識」はなかったと
考えらえています。
今回は、書きにくいことを、ずらずらと
並べてしまいましたが、どう書きにくいのか。
ピラミッドは何のためにつくったのか、
と考えてしまう現代人の意識。
何のためにという目的意識を持たなかった時代の人が
ピラミッドをつくった。
これ、永久に答えはでないわけです。
ピラミッドをつくった人たちに、
「目的」はなかったのです。
ただつくったのです。
え? いや、ただつくったって、、、
じゃ、なんのためにつくったの?
だから、目的意識はなかったんだから
なんのためにと問うこと自体がおかしいので、、
そうか、、 ううん、ではいったい、なんのために
つくったのか、、、、
目的意識が当たりまえになっていると
あくまで、何のためにという枠の中で
グルグルとまわります。
文明成立の時代の話は
この手の困難さに満ちているのです。
次回は、この面倒な「意識」について。
意識の研究を決定的に推し進めるきっかけを
つくったのは、シュリーマンによるトロイの
発見です。
(続く)