藤井真則のブログ

このブログはリンパ球バンク株式会社の社長時代に、会社社長ブログとして会社HP上に掲載されていたものです。ちょうど還暦を迎えるタイミングで社長の責を後任に譲り一時は閉鎖しておりましたが、再開を望まれる方もいらっしゃるため、別途個人ブログとして再掲載するものです。ANK療法という特定のがん治療に関しては、同法の普及のために設立されたリンパ球バンク株式会社のHPをご覧ください。
本ブログは、あまり標準的ではない特殊な治療の普及にあたり、「常識の壁」を破るために、特に分野は特定せずに書かれたものです。「常識とは、ある特定の組織・勢力の都合により強力に流布されて定着したからこそ、常識化した不真実であることが多い」という前提で書かれています。

TOP

2017年12月31日

  

えとせとら

 

来年は戊辰戦争150周年ということで政府主催の企画がいくつも準備されているようですが、「会津側」は150年たとうがまったく遺恨は消えていない、これで水に流すなどあり得ない、という雰囲気のようです。

 

 

「歴史小説」としてつくられた「明治維新のイメージ」がNHK大河ドラマなどで放映され、こういう話だったという誤解が定着してきましたが、「歴史」としての「明治維新」は、そもそも歴史上は明治維新とは言わないのですが、幕末の志士たちの英雄物語とはおよそ無縁のかなり「えげつない」話ばかりでこのあたりのことは専門家の諸氏が
ほんとはこういうことだったんだけど、と様々な形で語られるようになってきました。

 

何か月か前、坂本龍馬暗殺についてNHKが歴史上のごく普通の説を紹介したのに少し驚き、
その際、さわりだけは書かせていただきました。

 

歴史上の坂本龍馬は島津家の密貿易の使用人に過ぎず、土佐藩を脱藩というのも実際は土佐藩士だったわけではありません。
志を貫くために藩士の身分を捨てたのではなく最初から捨てるような身分なり生活の保障なりがあったわけではありません。
グラバー商会の船で武器を運ぶ、つまり武器商人の手先をやっていた雇われ人だったわけです。
「竜馬はいく」など「歴史小説」の中に登場する稀代の英雄として描かれる坂本竜馬のイメージとはずいぶんとギャップがあります。

 

(小説の中の竜馬は字も実在の本人とは一文字かえて描かれています)

 

学校で教えられた明治維新のイメージは幕府が鎖国政策を続けたため進歩に取り残された
日本に突然、黒船が来航し、これにより目を覚ました薩長を中心とする志士たちによって
尊王攘夷運動が起こり、古い体質を変えようとしない幕府を倒した、、、

 

という話になっています。

 

戊辰戦争で最後まで抵抗した会津などは時代の孤児のような扱いながら、流石に白虎隊の悲劇だけは特別に取り扱う、 概ねこういう流れでした。
こういうイメージは、ほぼ作り話です。

 

 

江戸時代、貿易の制限はありましたが幕府は世界中にアンテナを巡らせ国際情勢の把握につとめ黒船来航前から諸国と外交交渉を行っていました。
南北戦争のどさくさにしらあ~~っと捕鯨船が補給に使用していた米国か最初に島の名を命名したオランダかどちらかの領土になっていたはずの島々を
軍事占領し、日本領にしてしまいます。
でっちあげた戦国武将小笠原氏の悲哀物語を流布させこれはまったくの作り話だったのですが
太古より日本固有の領土であり、小笠原悲哀物語で有名な小笠原諸島は、、、 とあたかも昔から小笠原諸島だったような話をとことんつくりあげて日本列島の喉元に切っ先のようにくいこみかねない島々を日本のものにしてしまった、、、
幕府にはこうした才覚なり機転がきく人材がそろっていました。

 

 

江戸前といいますが、人口100万を抱える世界最大の都市でありながら
江戸前の海や街中の川で捕れた魚や鰻は活きがよく生で食べることができました。
徹底した環境保全策がとられていたからです。
魚を生で食べる風習はエチオピアには今でもありますしヨーロッパでも昔はあったのですが大都市ができるころには河川も海も汚染されとても危険で生では食べられなくなったのです。
また江戸は極めて治安がよく警察官に相当する北町と南町の奉行所に詰める中村主水のような
十手持ちはせいぜい2~3百人程度だったそうです。
ところが欧米勢力が阿片戦争の次なる標的として日本に触手を伸ばしてくると状況は一変します。

 

暗殺、強盗、強姦、放火とありとあらゆる凶悪事件が続発します。
黒船来航に人々は恐怖を覚えたと学校で習いましたが実際には黒船見物の人だかりで、むしろ、京の都や江戸で猛威をふるったテロの嵐こそ人々を恐怖におとしいれるものだったようです。
このテロ活動、だれがやったのかというと、後世、維新の志士と呼ばれた人たちやその仲間たちです。

 

 

人斬り○○と呼ばれた幕末の有名な殺し屋たちはほとんどが薩摩人ですが初期のころのテロリストは人数でいえば圧倒的に長州人です。
学者であろうが商人であろうが大河ドラマには登場しませんが、結構、女性への暴行と殺人も多かったのですが、片っ端から暗殺し、あるいは資産を奪っていったのです。

 

明治維新はテロリストの暗躍によって幕を開けました。
吉田松陰の主張は簡単にいうと政敵は殺せばいい、に尽きます。
タリバンやISがTVに登場しその非人間的な残虐行為が報道されるとなぜそんなことができるのか、、、と現代の日本人は考えるのですが、国を壊し、乗っ取りにいく時の常套手段は一般人に恐怖を植え付けることから始めるものです。
フランス革命の際にコンコルド広場で王妃様をギロチンにかけるところを一般大衆に見せましたが、これが一般人に恐怖を植え付ける派手な演出を行うというテロリズムの始まりとされています。
明治維新の志士として後から英雄にされた人々が実際にやったことはまさにタリバンやISと同じことだったのです。

 

もちろん一部テロリスト集団が残虐行為を繰り返しただけでは世相は暗く騒然となりますがそれで幕府が倒れるわけではありません。
タリバンやISの場合も、背後にいた国外勢力がどやどやと乗り込んできて初めて本当に国が無茶苦茶にされますが、その前の段階で内部崩壊を起こそうとします。

 

 

討幕に成功した背景には英東洋艦隊の威嚇もあればまず大量の武器の供与(くれたのではなく、売ったのですが)もあり、軍事指導というのもあります。
また、幕府側要人の中に討幕に協力する裏切り者がいたことたとえば、勝海舟や榎本武揚、徳川慶喜つまり徳川のトップ、、、 ここぞ、という勝負どころで将軍様自らさっさと逃げてしまった等とんでもな行動によって、まともに決戦すれば
圧勝したはずの幕府軍は何が起こったか理解できない状況の中で敗走します。
このあたりを説明するのは面倒ですので一度棚の上にあげさせていただき、さきほどのテロリストの話に戻します。

 

大河ドラマで珍しく会津側からみた維新を扱った綾瀬はるかさんをヒロインにした作品がありましたがあの中に出てくるように、要は、会津は京都の警察業務を引き受けさせられたのです。
当然、テロリストを取り締まるので、夜な夜な、残虐な犯罪行為に及ぶ薩長、特に初期のころは長州人を捕まえては処罰したので、長州側の会津への私怨はすさまじいものがあったようです。
どっちが正しいも何もあったものではなくやられたことは覚えててやりかえそうとします。
いつの時代、どこの世でもテロリストは仲間が次々に殺されていくことで組織としては強くなります。
ジェダイの騎士団(歴史上実在したジェダイの騎士団)の場合もメンバーの大半を組織のトップの意向でほとんど粛清することで残った者は更に強大なパワーを得るのですが、フランス革命においてもギロチンの発明者を含め、初期に活躍したテロリストの大半が自らもギロチンにかかって命を落としています。
突撃隊を編成して大量虐殺を始めた2年後には親衛隊が編成され、今度は親衛隊が突撃隊を粛清してさらに強力な組織として国中を世界大戦へひきづりこんでいきます。
明治維新でも活動に加わったメンバーの大半は悲惨な最期を遂げています。

 

 

さてテロリストにとっての宿敵になってしまった会津。
戊辰戦争でも徹底抗戦を貫いた会津に対し主に長州軍を中心に一般住人、特に婦女子に対する目を覆うような残虐行為が横行しました。
揚句に、会津藩ゆかりの者は青森でも不毛の地とされる荒涼とした荒地へ移封され、餓死者が続出して人口は激減したとされています。
京の都で人殺しをやれば警察が取り締まるのは当たり前。会津藩は当然のお仕事をやっていたのです。
尊王攘夷などといいますが、薩長には最初から尊王の志など微塵もありません。
蛤御門には今も弾痕が残っていますが天皇がいらっしゃる皇居に向かって長州軍は銃砲撃を加えたのです。
会津軍は皇居を守る側でした。

 

朝廷から討幕令を受けたとする書面も偽造ならば錦の御旗も勝手に自分たちでつくったもの。
朝廷はあくまで利用しただけです。
明治政府樹立後、尊皇攘夷などすっかり忘れたのか徹底した欧米頭となり、新政府樹立直後の重要な2年ほどの間、国の要衝を担う人材の大半が米国と英国への滞在を続けるという異様な岩倉使節団の派遣。
新国家の担い手が大勢というより新政府がまるごと米英にご指導を仰ぎにいったわけです。
また排仏毀釈という無茶苦茶な野蛮行為に走ります。
実際に打ち壊された古寺もあり、姫路城のように取り壊し寸前までいったものもあります。
伝統的な文化財そのものを軽く扱う国の方針により、お寺とは関係ないものも存続の危機に陥ったのです。タリバンがアフガンの石仏を破壊しISがシリアの数千年前の神殿を破壊したのと同じです。

 

日本の場合、流石に抵抗運動がすさまじく徹底破壊はまぬかれましたが。
客観的に見れば、幕末の志士という後世美化された集団がやったことは、ほとんどタリバンやISと変わりはありません。

 

まともな精神があれば、伝統的な文化遺産を破壊したりしないものです。
もちろんひたすら破壊に徹したタリバンやISと異なり明治政府は国家神道をつくりだし、新たな神宮を建立したり富国強兵策をとったりと、まるで違う側面もあります。

 

富国強兵策のいきつく先が世界大戦での徹底した破壊と原爆まで投下される末路だったわけですが戦後も経済復興を遂げるので日本で起こったこととタリバンやISが暗躍した国で起こったことはあきらかに異質です。

 

ただ共通項もいくつもあります。

 

まず国外勢力が仕掛けたものであること。
活動のはじめは残虐なテロに徹したこと。
国外からの強力な武器供与を受けはじめは弱小組織だったのが内戦でそこそこ政府軍と戦うようになる。
伝統的文化財の破壊、伝統的精神の破壊や否定に徹する。

 

長州のテロリストたちがその非人間的な残虐性をもっとも露骨に現わしたのが戊辰戦争の大詰め戦闘終了後の会津人に対する蛮行です。
明治維新で実際に活躍した人物の多くは佐賀藩士でしたが、新政府成立後ほどなくほとんどが殺されたため生き残り、歴史小説によく登場するのは限られた人物だけとなりました。

 

代表格は伊藤博文という初代総理大臣です。
この人物、大河ドラマなどでは高杉晋作のパシリをやるどこか頼りない小者のように描かれることもありますが実際に残っている写真は屈強な大男です。
顔もごついです。

 

先祖代々が忍者であり、本人の得意技は「暗殺」です。
こういうのが血で血を洗った維新を生き残りそして新政府成立後ももっと徹底して行われたかつての仲間同士の大粛清にも生き残り最後は天皇を自らの手で殺した罪と書かれた罪状を記す犯行声明文と共に自身も暗殺されましたが歴史小説の中の英雄として今日も名が知られています。

 

もう少し詳しくという方はこちらをどうぞ

表に出始めた明治維新の真実 ~総集編

 

 

 

>>全投稿記事一覧を見る