2018.3.4.
前回の続きです。
できれば同じタイトルの(1)を
先にお読みください。
大戦前夜、陸軍がもっとも恐れたのは
米国による経済封鎖です。
天然資源の大半を輸入に頼る日本は
2~3ヶ月で干されてしまう、、、
そこで戦略物資の備蓄を進め
数か月~1年近くは凌げるように
しましたがとても数年単位で
保たすことはできません。
天然資源をコントロールする
特定民族の王国を満州につくることで
天然資源の供給を受けることを企図した
「河豚」作戦なるものも考案され
全く実現性はなかったものの
とにかく天然資源の確保こそ
米国の圧力に屈せず
開戦を回避する必須要件と
考えていました。
そこへチャンスが訪れます。
1940年春 ドイツ軍が西部戦線の
戦端を開きます。
そしてオランダ、ベルギーの全土と
フランスの一部を占領しました。
この時点で日米は実際には戦闘行為に及んで
いたのですが、まだパールハーバー空襲前であり
一応、参戦前です。
ソ連は、独ソ相互不可侵条約、日ソ相互不可侵条約を
締結し、ポーランドへ侵攻しましたが日独とは
表向き「友好的?」な関係を維持していました。
英連邦は1939年、先頭を切ってドイツに
宣戦布告し、第二次大戦の幕を切っておとしましたが
ドイツ軍の潜水艦の奇襲によって戦艦を沈められた
あるいは、逆に南米沖でドイツ装甲艦を追いかけまわし
自沈に追い込んだ、といった海の戦いが基本で
本格的な地上戦はドイツ軍がベルギーへ侵攻してからです。
昨年、公開された「ダンケルク」という映画は
この時、英連邦軍がヨーロッパ大陸のダンケルクから
ブリテン島へ撤退する作戦をテーマにしたものです。
ちなみにダンケルク撤退作戦は大成功に終わりますが
理由はシンプルで、ドイツ軍は英軍をほとんど
攻撃しなかったのです。
第二次大戦には裏の裏のその裏にまた裏の裏が
あるのです。
フランスはパリを含む北東部が
ドイツ軍の直接支配下となり
ヴィシーの町を首都とする南西部が
表向き独立国となりますが
もちろん実態はドイツ支配下の
傀儡政権です。
首相は何とドイツ軍を迎撃した
連合軍最高司令官ペタン将軍
この人物の完璧な指揮がなければ
薄い装甲に機銃や貧弱な砲を装備した
戦車二千数百両のドイツ軍が
分厚い装甲に大砲を搭載した重戦車など
2万輛を誇る英仏軍に
勝つはずはなかったでしょう。
日本はすかさず同盟国ドイツの
友好国であるヴィシーフランスの
インドシナ領、仏印という言い方を
するのですが、ベトナムを中心とする地域に
「進駐」します。
あの進駐軍の進駐です。
進駐軍はどう考えても占領軍ですが
言葉を和らげたに過ぎません。
友好国領へ部隊を展開しただけだから
侵攻ではなくて進駐と言っても
実態は軍事占領です。
仏印進駐自体が英連邦にとっては
かなり痛い問題になりますが
この手を拡大されると
連合軍側にとって根本的な
問題を発生させることになります。
日本が蘭印、つまりオランダ領インドシナ
今日のインドネシアを中心とする地域に
進駐されると日本が必要とする天然資源の
ほとんどを確保することになります。
こうなると米国政府がいくら脅しても
日本は適当にはぐらかし、米国政府が
望む日本から先に手を出してきたから
やむなく戦争をせざるを得ないという
状況に至らない可能性がでてきたのです。
オランダは本国をドイツに占領されて
いましたが、蘭印は断固、日本軍の
進駐を拒絶、米英と共同歩調を取ります。
オランダ海軍軽巡洋艦デ・ロイテルを旗艦に
連合艦隊を編成しジャワ島の前面に
居座ります。 他、同軽巡ジャワ
この船の名前が重要なのです。
後に米海軍重巡洋艦ヒューストン、同軽巡洋艦パース
そして先述のドイツ装甲艦を南米で追いかけまわした
英連邦海軍の重巡洋艦エグゼター等による
雑居艦隊が編成されました。
最高のキャスティングでした。
第二次大戦がはじまっても
ポーランドなど一部の国は
悲惨なことになっていましたが
まだ世界大戦という状況ではなかった
初期のころ、これからどうなっていくのか
世界中が不安に状況を注視していた時期に
南米ラプラタ川沖海戦が勃発し
世界中の注目を集めました。
英独艦艇の戦闘のみならず中立国の商船や
南米諸国の意向、ワイマール共和国精神を
貫きドイツ政権政党の意向に従わない
ドイツ海軍魂の反骨などなど
複雑な国際法や外交交渉も絡み
実話そのものにかなりのドラマ性があり
日本でも人気を博した映画
「ドイツ戦艦シュペー号の最期」として
公開もされました。
この戦いでボコボコにされた英連邦海軍
重巡洋艦エグゼター号は廃艦と決まりましたが
余りに有名な海戦の英雄艦として
記念艦として残しておくことになりました。
このスクラップ寸前の有名艦は
失っても惜しくないし、
外交上のカードとしては
知名度も高く恰好のプレーヤー
だったのです。
ドイツ軍のオランダ占領と共に
素早く日本がインドネシアに進駐し
南方天然資源を確保していれば
当然、米国は荒技を使ったでしょうが
対米開戦回避策としては上々の布石と
なったはずです。
ところが先に動いた米国は
本国を失ってなお
本国を占領したドイツの
同盟国に抵抗する
ガードストーンを置き
日本の進駐を防いだ上で
切り札を切ります。
ABCD包囲網とハル・ノートです。
ABC 米国A、英連邦B、中国Cはまだ
わかりますが、なんで日本の同盟国ドイツに
占領されているオランダDがでてくるのか。
このなりふり構わぬ無茶クチャな策によって
日本は海外資産を凍結され天然資源の入手の
道を閉ざされ、米国政府が心底熱望する
日本から先に手を出して南方資源を手に入れるのか
あるいは米国の言いなりになるのか
どちらかを選択、といっても確実に
日本から手を出さざるを得ない条件を
突きつけ、第二次世界大戦本格参入を
米国民に納得させる策を仕掛けてきました。
開戦早々、南方資源奪取のために
一気に南下してきた日本海軍の大軍に
取り込まれたポンコツ連合艦隊は
海戦というよりもほとんどリンチに遭うような
圧倒的な戦力に翻弄され全艦轟沈させ
られました。
こうなるのが分かっていて
置かれた捨石。
戦争に負けた後に
米国政府の思惑のために
捨石にされたオランダ海軍。
パールハーバー空襲を望み
事前に察知していたワシントン政府は
ハワイ島司令部には日本艦隊の来攻を
通報せず、数千の米兵が命を落としました。
騙し討ちという言い方をしますが
宣戦布告をしたとかしないとかではなく
何といっても、休日の早朝の礼拝の時間から
無抵抗に近い状態で多くの米兵が殺されたことが
米国民をして第二次大戦参戦を認めさせたのであり
ワシントン政府は参戦のためハワイの将兵を
生贄としたのです。
(続く)