がん細胞がどうやって免疫細胞の攻撃を回避するか、というテーマの研究は昔から盛んですし、論文投稿も多く、メディアにも頻繁にニュースが流れます。
メディアがニュースにすると「これで、がん細胞が免疫細胞の攻撃を回避するメカニズムがわかった」とか、「画期的ながん免疫治療の道が開けた」となってしまうのですが、毎年、数回は画期的発見の報道が流れ、この数十年同じ状況が続きましたが、現実のがん治療はそれほど変わっていません。
どうしても特定のセルライン化されたがん細胞と、セルライン化された免疫細胞で実験するため、たままた研究材料にした特殊な細胞同士の戦いにおける攻撃回避メカニズムを見つけてしまいます。非常に特殊なセルライン化されたあるがん細胞と、非常に特殊なセルライン化されたある免疫細胞を戦わせて、たまたま生き残って増殖してきたがん細胞は、死んでいったがん細胞と何が違うのかを調べれば、がん細胞の攻撃回避メカニズムの一端を垣間見ることもあるかもしれません。あるいは、ものすごく特殊でローカルな現象をみただけなのかもしれません。
がん細胞が免疫細胞の攻撃を回避する仕組みの基本は「免疫抑制信号」の放出です。最強の免疫抑制物質はTGF-βですが、名前もそのまま腫瘍のTumor、成長のGrowth、Fはファクターです。腫瘍増殖因子とほぼ誤解を生まないそのまんまな名前がついています。学生の頃にはよく知られていた物質ですが、数十年前から、こうした物質がいくつも知られていました。実際、TGF-βを浴びせるとNK細胞の活性が下がります。ならば、TGF-βを止めればいい、と誰もが考えるわけですが、実際に抗TGF-β抗体を人体に大量投与する実験が行われました。結果は悲惨なものでした。。。 こうした実験の犠牲になる方は後を絶たず、動物実験でわからないのか! とよくお叱りをうける訳ですが動物実験ではわかりません。たとえばがんネズミに抗TGF-βを投与すると、がんは消失しネズミは元気です。他にもインターロイキン2を大量投与すれば、がんネズミは一発で治りますが、人間に同じことをやったところ、肺水腫で次々に亡くなられました。人間に投与する場合はインターロイキン2の量をネズミよりも抑えなければいけません。そもそも人間はがんになる動物です。通常、がんにならない動物もたくさんいます。ネズミは短命だから、がんになるまで生きないという説もありますが、はるかに長命な像もがんになりません。人間のがんと免疫を語る場合、人間以外の動物の話をそのまま持ち込むわけにはいきません。
さて、TGF-βですが、NK活性を下げるだけではなく、様々な免疫活性を強力に抑制しますので、抗TGF-β抗体を大量投与すると、どこかで免疫の暴走が起こり、最悪死亡に至ります。
TGF-βがあれば当然、TGF-αもあります。またTNF-αとTNF-βもあります。TNFは腫瘍壊死因子の略で、実際に当初は腫瘍に壊死を起こさせる究極のがん特効薬として注目され、おそらくこの数十年で夢のがん特効薬発見ビッグニュースとして最大のフィーバーとなったものでしょう。で、私も大失敗をしたのですが、これを投与すると部位や投与量によって腫瘍が縮小することもあれば、逆に成長することもあるのです。温度も関係しているようです。同じ物質が全く逆の意味をもつ、人間の体内ではごく当たり前のことなのですが、研究者は大混乱します。
がん細胞はTNF-α、TNF-β、TGF-α、TGF-βなどをカクテルにして細胞膜と同じ性質の膜で包んだカプセルにします。他のサイトカインも混ぜるようです。一流のバーテンダーのカクテルと素人が適当に混ぜたものでは味が違うわけですが、細胞同士のコミュニケーションに使われるカクテルの配合の妙は現在の最高精度の分析装置をもってしても解析困難な微妙なもののようです。このカクテル袋には宛名ラベルがついており、特定の細胞が受け取る様に細工がしてあります。受け取った細胞は「返信」を書きます。やはり宛名ラベルつき封筒に妙なる微妙な配合のサイトカインカクテルを詰め、細胞外へ放出、こうして「返信」への「返信」が複雑な「通信量の増大」を招き、やがて体内の免疫システム全体の活性を低下させていきます。といってもがん細胞はNK細胞の活性低下に至る状況を誘導しますが、感染症免疫はそれほど低下させません。がん患者が感染症に弱いということは特にありません。放射線や抗がん剤の副作用で免疫細胞が激減すると感染症に弱くなります。
免疫制御は複雑なネットワーク全体の制御システムであって、試験管の中で特定のセルライン化されたがん細胞と免疫細胞を戦わせても、それによって全体システムに参画しているかもしれない、ある要素をみつけることになるかもしれませんが、それで、がん細胞が免疫細胞の攻撃を回避するメカニズムをみつけたと報道するのはやり過ぎです。