明治元年、天下分け目の鳥羽伏見の戦いから始まった戊辰戦争。
軍事クーデターを起こし武力でこの国を制圧した新政府はいきなり財政難に直面しました。後ろ盾の毛利家も島津家も財力を使い果たし、借入を踏み倒していた状況です。
新政府が発行した貨幣は越前和紙で作られていました。新政府発足前後、討幕派の首謀者の一人、松平春嶽率いる福井松平家は圧倒的な財力を誇る討幕側の希望の星でした。
江戸時代に鎖国令というのは発布されていないのですが、厳しい貿易規制がかかっていたのは事実です。規制が強いからこそ島津家は密貿易で財政を支える程の収益をもたらしました。島津家は早くから国外勢力と手を組み、彼らを日本に招き入れる尖兵となり討幕派首謀者の一人、島津斉彬を輩出します。
福井松平家は一部の港が開港されたメリットを素早く活用しました。殖産興業に励み、地場産業の絹や和紙を量産し輸出したのです。当たり前のようでも、永らく輸出をやってこなかった他家が開港となってもすぐに動かない状況で一人先行して日本の特産品を集中豪雨的に輸出すれば莫大な富を得られます。 福井松平家に有能な人材がいて、越前和紙でお札を刷り、信用創造やマネーサプライの基本を理解した上で精力的に製造業者や原料農家に働きかけたのですが、彼らはマーケッティングをやった訳ではありません。グラバー等、外国商人が、これとあれをこれだけ作れば、これくらいで買う、という通りにあとは作ればよかったわけです。ファイナンスのノウハウも外国商人には当たり前のもの、これを理解し実行する人材がいたのは大きいですが、それとて、事前教育がされていました。
福井松平方式は明治政府の財政の基本ともなり、戊辰戦争後は富岡製糸工場などグラバー等、外国商人が買って、世界市場で売ってくれる商品を作ることに精を出し、そして得た資金や戦争債を買ってもらった資金で武器を買い、世界大戦へ突き進みます。