2009.1.29.
第二次大戦後、GHQは、
日本の医療の基本デザインを
策定しました。
医師の数を一定数以下に制限し、
少数のエリート集団とする。
(だからお医者さんは、今でも忙しいのです)
抗生物質の製造販売を医薬品産業の柱とする。
医師不足は、抗生物質の大量投与により補う。
国民皆保険とし、健康保険は医療行為には薄く、
抗生物質をはじめとする医薬品の使用には、手厚く
健康保険料の価格(薬価)を設定する。
よって、医師には、薬剤大量処方をもって、高収益を確保せしむる。
この他、朝鮮戦争の戦場で大量に必要となった
輸血用血液を確保するため、旧帝国陸軍防疫給水部の
内藤氏に命じ、血液銀行が設立されます。
最終的には、4つのバンクが設立され、その内の
一つが旧ミドリ十字となり、内藤氏が代表に就任します。
また、GHQは、日本人には徹底的にワクチンを接種するよう
「ご指導」します。 ニワトリの卵を大量に入手できる四国の
ある町に、大阪大学微生物病研究会のワクチンプラントが
設立されます。 今日の国内最大のワクチンメーカー、
ハンダイビケンの誕生です。 他、北里など、
6大ワクチンメーカー体制が敷かれることになります。
プレパンデミックワクチンを2000万人分製造!(原液ベース)
とか報道され、新聞は、まるで国が製造したような書き方を
していますが、製造したのは、ハンダイビケンと北里がメインです。
日本では、世界でも例をみない大量ワクチン接種が励行され、
結果的に、ウィルス性肝炎の蔓延を招きます。
日本人は、戦後、GHQにご指導されたことを盲目的に信仰し、
学童への集団接種を20世紀の終わりまで続け、
世界からは、異常な国とみられてきました。
私も、ワクチンの仕事では随分と苦労をしましたが、
とにかく、ワクチンというのは、難しいものです。
数多あるウィルス病に対し、なんとか頑張るワクチンは
ほんの数えるほどで、殆どの開発が失敗に終わります。
生き残るワクチンは、感染力をもつウィルスを投与する
生ワクチンのタイプが殆どですから、
安全管理が大変です。
なんで、日本は、感染防止効果がないと分かっている
インフルエンザワクチンを、何十年も児童に集団接種し
続けるのか? と、よく海外の専門家に質問され、答えに
窮しました。 (さすがに、これは内外の批判が強く、
学童への集団接種は中止されました。 代わりに、現在、
高齢者への接種が推奨されています。感染防止効果が
なくても、重症化を防止する可能性があるかもしれない、
免疫力が弱い高齢者は、接種することで、死亡率が
下がるかもしれない、という理由によるものです。)
日本人には、ワクチン信仰というものがあるようです。
がんワクチンや樹状細胞療法のように、欧米での
精力的な研究の結果、とっくに効果なし、と判定されたものを、
未だに、「新しい技術」と称して研究しています。
一度、ずれてしまったシステムを修復するには、
何十年もかかってしまうのです。
インフルエンザワクチンも、やっと、効果が期待できる
本来あるべき姿、粘膜への局所投与タイプのものが、
治験に入る予定ですが、ここまでくるのに、半世紀
かかってしまいました。 これとて、実際に効くのかどうか、
これから、長い年月をかけた検証に入る段階です。
何十年も前から知られているものが、やっと治験に入る、
失われた数十年の時が、パンデミックフルーに
間に合うよう取り戻せるかどうか、
やっとスタート台に立てました。
血液製剤やワクチンというのは、ある種、特殊なものですが、
一般的な医薬品についても、日本はやはり、世界で例を
みない、異常な体制を築くことになります。
今日は、この辺で。