藤井真則のブログ

このブログはリンパ球バンク株式会社の社長時代に、会社社長ブログとして会社HP上に掲載されていたものです。ちょうど還暦を迎えるタイミングで社長の責を後任に譲り一時は閉鎖しておりましたが、再開を望まれる方もいらっしゃるため、別途個人ブログとして再掲載するものです。ANK療法という特定のがん治療に関しては、同法の普及のために設立されたリンパ球バンク株式会社のHPをご覧ください。
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TOP > 明治維新の実態(1)天下分け目の敵前逃亡

2018年11月09日

  

えとせとら

戊辰戦争150周年の今年は政府主催の雪解けイベントが検討されていましたが、大河ドラマなどで流布される「坂の上の雲」や「竜馬はいく」などの「歴史小説」の英雄物語のイメージと「歴史」としての「御一新」は全く異なるとする出版等が相次ぎました。

 

教科書でも大河ドラマでもクライマックスは「大政奉還」です。

 

徳川家が禁裏に対し政権一括委任を返上し、「徳川時代」が幕を閉じた、と。

 

 

当時、今日の神戸付近の開港を要求し大阪湾に艦隊を並べる列強との交渉が急務でした。一度返した大政を分割し、まず外交権が徳川家に再委任されます。徳川家が日本を仕切るという実態は変わらないという状況で軍事クーデターが発生します。

 

何と徳川慶喜将軍率いる軍勢が島津家の陣営に攻撃をかけます。 鳥羽伏見の戦いの勃発です。 

 

 

大阪城に集結した将兵に対し「一兵たりともここを退くでない」と檄を飛ばした将軍様は、諸外国の公使らと密談を行います。 米国公使の乗艦許可書持参の将軍様は米国艦イロコイに保護されます。 僅かの人数で大阪城を脱出し、米軍艦から咸臨丸に移り、江戸へ逃げ帰ります。

 

「エッ!? ・・・・ 」

 

 

この状況を誰がどう説明できるわけ。。。

兵士に死守を命じた直後に将軍自ら逃げたのは明確ですが

米軍艦に米国公使のお墨付きもって保護された、、、、

 

将兵が籠る大阪城は大阪湾に砲口を並べる

英連邦軍東洋艦隊の主力艦などに脅迫された状況のままです。

 

この状況で英連邦と手を組んでいる島津家・毛利家と戦闘する

ことを真剣に考えた人はいなかったようで

徳川側勢力は戦意喪失し撤収、大阪城は狼藉し放題となり

焼失します。

 

10万近い徳川側にコア部隊は数千以下の毛利・島津家側が

対峙し徳川側の圧倒的優勢が逆転し、以後、

徳川家は一方的に押しまくられます。

 

 

軍事クーデターによる政権奪取は成功しました。

 

 

何が起こったのでしょうか。  (続く)

 

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