このブログはリンパ球バンク株式会社の社長時代に、会社社長ブログとして会社HP上に掲載されていたものです。ちょうど還暦を迎えるタイミングで社長の責を後任に譲り一時は閉鎖しておりましたが、再開を望まれる方もいらっしゃるため、別途個人ブログとして再掲載するものです。ANK療法という特定のがん治療に関しては、同法の普及のために設立されたリンパ球バンク株式会社のHPをご覧ください。
本ブログは、あまり標準的ではない特殊な治療の普及にあたり、「常識の壁」を破るために、特に分野は特定せずに書かれたものです。「常識とは、ある特定の組織・勢力の都合により強力に流布されて定着したからこそ、常識化した不真実であることが多い」という前提で書かれています。
TOP > 「コロナ禍の真実と次に来るもの」出版の背景
自由国民社さんから発刊いただいた
拙著「コロナ禍の真実と次に来るもの」をお読みいただいた
読者のみなさまからの反響に応える形でブログを再開するかどうか
思案中です。
この本は元集英社編集長M氏から「本を出しましょう」というお誘いがあったのが
きっかけでその後2年もの紆余曲折を経て出版に至ったものです。
当初は医療系の企業の代表取締役の立場では業界不都合な話を書き過ぎると
経営する企業に悪影響が及ぶのでやれません、いやもちろん大儲けしている
巨大医薬品メーカーではなく零細ベンチャー企業ですから、悪いことを
やっているのではありません。 お金儲けで悪いことをやっているのなら
もっと業績いいでしょうね。 そうではなくて、健康保険が使えるように
するには莫大な資金が必要で、結局、大手医薬品メーカーさんと提携しなければ
現実的には無理なのです。 そういう立場にありながら、業界不都合な本を
書いたらいい影響はありません、と断っておりました。
ところが代表を他の方にお任せし、会社HPとリンクされていたブログも
会社とは切り離しましたので
「多少のことは書いても会社の迷惑にならない」立場となったことで、
それまで別目的で用意していた原稿をまとめて編集し2020年の
夏から秋にかけて「疫病・免疫・資本」(未刊行)を書き上げました。
ページ数で数千ページに達するため、どこも出版しませんよ、と申し上げ
ましたが、もちろん編集はするにしてもまずは売れるためにどう書くかではなく
何を書くかだけに集中して頂いた方がいいとM氏は全く動じず自分が責任をもって
出版社をみつけてきますということでした。
ある大手出版社と話が進みオンライン版とリンクして展開するということで
オンライン用の原稿も十数本納め、いざスタートという段階で「標準的ではない
医療の宣伝につながる可能性あり」という「メディアコード」に抵触するからと
突然中止になりました。もう代表を辞めたと言っても聞く耳もたず、です。
本の内容には「標準的ではないがんの治療技術」に関することは一切書かれていない
のですが、一度NGと誰かが言い出したら議論は受け付けません。
もっと骨のある出版社をみつけます、ということでご紹介いただいたのが
自由国民社さんです。「現代用語の基礎知識」や「流行語大賞」で有名なところですが
戦前には国内が戦争ムード一色の状況で反戦的な論調を取るということで
当時の社長さんから一般社員さんまで全員麹町刑務所に拘留されたという確かに
「骨のある」歴史をお持ちの会社さんです。 M&Aにより社風もだいぶ変われた
ようですが、編集人としてクレジットにもある方が定年前の最後の仕事として
この本は何があっても出しましょう、とお受け下さりました。
とはいえ昨今の日本の出版では大きな文字で余白たっぷり多くて200ページと
いうのが標準で、平易な言葉で同じことを繰り返し強調するスタイルの本でないと
数は出ません。 分厚い本はほとんどが翻訳本です。 しかも「商業出版」つまり
出版社がリスクをとって発行するスタイルが激減しており、中小の出版社では
大半が「企業出版」、まあ言ってみれば「自費出版」ですね、著者や著者が経営する
法人が出版コスト+アルファを出版社に支払い、出版した時点で出版社にとっては
収益を確保できる契約になっています。コロナ本もたくさんでましたが多くが
企業出版なのだそうです。ちなみにお医者さんが書かれていても通常費用負担は
そのお医者さんが経営する医療法人の場合が多く、また仮に医師個人が費用負担
していても言葉としては「企業出版」と呼ぶようです。
そこへ商業出版で数千ページはあり得ませんので、「疫病・免疫・資本」から
一部を抽出して編集したのが「コロナ禍の真実と次に来るもの」です。
これ320ページあり、文字が小さく余白も僅かでお読みいただく方には
大変申し訳ないのですが一見全く違うテーマの話のようでもすべてつながって
おりますのでこれ以上は削らない方がいいという限界点で版元と合意したものです。
ひとつのことを説明するのに多少、表現を変えながら4回以上説明すると頭の中に
入りやすくなります。それをやるともっと文字数が増えるので一回読んでも俄には
ピンとこないことを一回しか書いていませんので中には4回読みました!という人も
いらっしゃいます。 どこから読んでもいいように書いてあるので興味をもたれた
ところからお読みいただければ、と機会があればそう説明しています。
一番、編集圧がかかっていないのが「後書き」ですのでそこがお勧めで、
あとはコラムはひとつが短いですよ、と申し上げています。
さて、自由国民社さんでも営業部門の方々からは盛んに「コロナの次はどんな
感染症が流行するのか?」と聞かれました。 一応、次に騒動になる可能性が高い
感染症のことは書いてはあるのですが、そんなことよりもコロナ禍の次に来るのは
「戦争です」と答えていました。 このウイルスを合成してばら撒いたのはお金儲け
とかワクチンを販売するのが目的ではなく、長期的にはお札やコインといった
紙とか金属でつくられた貨幣をなくすことです。
そして目先の狙いは戦争の形態を変えることです。
戦時中に竹槍訓練やバケツリレーやったじゃないですか、竹槍でB29を撃墜するとか
バケツリレーで原爆や絨毯爆撃の業火を消すことは無理だと思いますよ、でもやった
じゃないですか。やらなければ非国民として他の国民に迫害されます。 あれはもう
開戦後のことですが「1億玉砕火の玉だ」と本土決戦に邁進する風潮作りに国民の
意識操作をするためにやっていたわけです。 普通の話が真っ当に通る世相で
一億玉砕本土決戦はやれません。 理不尽をごり押しできる、まともな話が通らない
状況をつくる、これが権力さんの「目標」なのです。
科学的に意味のない手洗い・うがい・マスクをしないと白い目でみられ、
効果は今いちで副反応を伴うワクチンをやらない人は同調圧を受けるというのは
医科学的な話ではなく権力による民のコントロールの話です。
お金なんて印刷すればいくらでも使える人々が
お金儲けのために面倒なことはやりません。民を思い通りにするために
いろいろやってくるわけです。 恐怖をうえつけることと相互監視というのは
常套手段です。 そして究極が戦争、それも国家によって一般市民を徴兵し
国家と国家が正面から戦う昔ながらの戦争、フランス革命で確立した
戦争のビジネスモデルの復活こそコロナ禍の当座の目的です。
ちなみにテロリズムの語源はフランス革命にあります。
一般市民を強制的にコンコルド広場に集め、美しい王女様などの生首が
斬られる場面をみせつける、あれです。 何せ理由は要らないのです。
委員会が「黒」、反革命的と「多数決」で決めればギロチン台に送られます。
いつ誰の首が斬り落とされてもおかしくありません。「多数決の原理」が
正しいんだ、という刷り込みはこうして定着していきました。
湾岸戦争以来、一般市民を徴兵して戦場に投入するとネットで悲惨な実態が広まり
購買意欲の減衰からひどい不況を招くようになり、戦争は国家間の正面衝突ではなく
「非対称戦」 つまりテロリスト集団vs警察国家米国 へと移行したとされています。
その実は米軍正規兵ではなく、米軍の軍事活動を上回るまで巨大化した
米民間軍事企業「同士」の戦いが「非対称戦」の実態です。
それをまた市民を徴兵した正規兵同士の戦争に戻したのがロシア軍によるウクライナ
侵攻です。ですので当初最前線で主役を担ったロシア民間軍事会社は正規兵優遇策に
ブチ切れ民間軍事会社ワグネルの反乱などを招きました。
2020年の夏ころには大方書いていた原稿は時間を経ても風化しないように書き方に
工夫はしたつもりですが、かといってそのまま2022年の夏に発行ではまずいので
もちろん修正はしましたが、ともかく本当にロシア軍の侵攻が始まると
なるほど言ってた通りになった、と出版プロセスが本格的に動き始めました。
先に出版していたらそれだけ話題になるのですけどね。
版権は出版社にありますので著者といえど勝手に本の中身を
ブログにコピペするのはいけないのですが、前文にあるM氏が
書かれた一文だけ転載させていただきます。
本書は、著者が書き下ろした『疫病・免疫・資本』の原稿を元に加筆・再編集し、
緊急出版することを目的に、『コロナ禍の真実と次に来るもの』を主題に1冊の
書籍としてまとめられました。「コロナの次に来る新たなウイルス、疫病とは何か?」
という問いに、著者は「次は戦争」と即答し、その意外な回答の真意を問うと、
「そのままの意味です。コロナ禍が始まった頃より、これは戦争準備と捉えている」と。
2022年2月、本当に「戦争」が始まりました・・・・・・。
あれから3年が経ちロシア・ウクライナ戦争は停戦の方向で動いていますが、なぜこの時期にトランプ氏が大統領に選ばれたのか等、底流に流れるものについてはまたいずれ。