2009.1.21.
海外へ仕事に出かけたとき、
市内で時間があれば、なるべく
色んなお店へ寄るようにしますが、
本屋さんもよく覗きます。
どんな民族も、背負った歴史や
気候、風土、宗教などを背景にして特有の
エートス(行動原理)をもっています。
これを分かることは、ビジネスを
展開するにも大事なことです。
また、相手のことをわかっているかいないかで、
全く、相手の態度が変わり、紹介される
人や場所、持ち込まれる話も次元からして
変わってきます。
さて、米国では、アレキサンダー大王の本が
よく売れています。 ビジネスマンが好き、というか、
仕事上、必要ということで読むのです。
というのは、米国の経営学は、軍事戦略をベースに
してきました。 アレキサンダー大王は、「戦略」を
発明した人物として知られています。
アレキサンダーの戦略論ではなくて、「戦略」という
そのものを発明した、とされているのです。
今の時代は、お客様の感覚に合わないものは、
お金を払ってくれません、「人が生きる」、ことを核にした
経営でないと通用しなくなっており、「人を殺す」ことを
前提にする軍事戦略、別の言い方をすれば、
物を製造して供給する側の勝手な論理は、
市場から排除されていく傾向にあります。
アレキサンダーの戦略は、
今日の軍事戦略よりも、幅が広く、
より普遍的なものです。
まだまだ、ビジネスの世界でも通用します。
昨年、本がよく売れたオーシャンブルー戦略、
シルク・ド・ソレイユのマーケッティングなどを
成功事例としてますが、典型的な
アレキサンダー戦略ですね。
オーシャンブルー戦略は現代における、
市場戦略の基本について、具体例を
あげ、誰でも簡単に読める本となってますので、
ご興味のある方は、読んでみてください。
戦略、とは少し違うのですが、がんの標準治療は、
アメリカ軍の作戦パターンとよく似ています。
がんは、ゲリラのようなものです。
ゲリラには失礼ですが、行動パターンが、がんと似ている、
と言う意味であって、ゲリラが悪いもの、という意味ではありません。
一般市民である正常細胞に紛れているので区別がつかず、
組織をゼロからつくれる指導者、がん幹細胞がおり、
たとえ一人でも、潜伏し、移動し、また新たな組織を作り上げる。
そこへ、重砲(今は、ロケット砲)という放射線や、
絨毯爆撃という化学療法を行うので、
一部の、ゲリラは殺せても、必ず生き残る指導者がおり、
巻き添えに殺される一般市民の数が増えるほど、
今度は、市民の中からもゲリラがでる、
つまり正常細胞ががん化してしまう。
ゲリラ自身も、攻撃されればされるほど、怒りに満ち、
悪性度を増し、早く増殖し、砲爆撃にも簡単にはやられない
工夫を重ね、耐性を得る。
日露戦争最大の山場は、「奉天大会戦」です。
海の戦いは、勝っても負けても、それ自体はどうでもいいのです。
海に人が住む訳ではないので、陸地を取ってこそなんぼ、です。
陸の戦いを有利にするために海でも戦うのです。
満州地方最大の都市、奉天、今日の瀋陽の奪取を図る
日本軍。 この戦いに勝たなければ、いくら日本海海戦で勝った
ところで、一円の得にもなりません。
この戦い、陣形も、基本戦術も、アレキサンダー軍の戦いの
多くと極似しています。(戦術は、戦略とはまた違います。
もっと、局地的で、目前の敵との戦闘そのものに勝つ策のことです)
地上部隊の大軍同士が、行軍中に遭遇し、
一気に勝敗を決する短期決戦を
行うことを、「大会戦」といいます。
小さい場合は、単に会戦、とか遭遇戦と言います。
一瞬の勝負の機微が明暗を分けるので、
要塞の攻防戦よりも、遥かにドラマが生まれ易いです。
旅順港に仕向けた乃木将軍の第三軍は、主力部隊ではなく、
兵力も数万程度です。 奉天大会戦に投入されたのは、
殆ど全力に近く、25万の大軍です。 対するロシア軍37万。
ロシア、サンクトペテルブルグで、血の日曜日事件が
発生したのが1月9日、奉天大会戦が、3月1日-10日。
特務機関明石中佐がスウェーデンから、サンクトペテルブルクへ
持ち込んだ、お金と銃が、物を言いました。
ロシア革命の胎動がなければ、100万規模の
ロシア軍によって、日本軍は完全に蹂躙されていたでしょう。
両軍、横一線に展開し、主力が中央に布陣、
機動力が高い騎兵部隊や、精鋭部隊を、予備として、
両翼の後方に待機させ、ここぞ、という時に一気に集中投入します。
日本軍は、いきなり中央の第一軍が突撃します。
強引な中央突破に、ロシア軍は、両翼後方の予備部隊を
中央に集め、防備を固めます。 すると、日本の左翼にいた
乃木将軍の第三軍が猛攻をかけます。 この部隊、旅順で
ボコボコにされたので、大して戦力が残っていない張子の部隊
なのですが、旅順攻略で名を馳せており、ロシア軍も、あの
第三軍だから、やっぱり、こっちが日本の主攻撃軸なのか、
と、全予備部隊を呼び戻し、第三軍に当たらせます。
それでも第三軍は強引に突破を試みます。
一方的に第三軍側が犠牲を出しているのですが、
闇雲に突撃を繰り返します。 端っこを敵に抜かれてしまうと、
背後に廻られ、挟み撃ちにあったり、退路や補給路を絶たれて
しまうので、中央より、むしろ両翼の戦いが趨勢を決めることがあります。
ロシア軍の神経が、第三軍に釘付けになった、その時。
中央、第一軍が、全軍突撃の挙に出ます。
これはいけない、と、再々度、ロシア軍は全予備部隊を中央に
集めます。
ここまで、常に、日本が仕掛け、ロシアが対応していますね。
ロシア軍が精鋭部隊を左右に振り回されています。
アレキサンダー大王も、常に、仕掛けていました。
常に、敵の有力部隊を左右に振らせ、一気に隙をついて
本陣を襲撃し、数倍以上の敵を倒してきたのです。
戦争でもビジネスでも、勝利の必要十分条件はたった一つ。
兵力の多い少ないは関係ありません。
兵器や兵士、将校が優秀かどうかも決め手にはなりません。
仕掛け続けた方が勝つのです。
状況に迅速に対応するのは、二流のビジネスマンです。
対応もできないのは、三流です。
一流ビジネスマンは、自分から仕掛け、状況を作り出すのです。
日本は罠を仕掛けていました。 わざと、
峠のような窪んだ回廊を突き進んだのですが、そこへ、
ロシア軍最精鋭、コサック騎兵隊が突っ込んできます。
かつての、モンゴル帝国の一派、キプチャク汗国の将軍衆の
末裔たちで、ロシア帝国貴族団を構成、小さな寒村モスクワ村を
ロシア産の金やダイヤもそうですが、
ロシアの先端技術の取引も、
今でもコサックが握っています。
私も、コッサク人が経営する会社のオフィスが集中する
ベルギー、アントワープへ足を運び、騎馬兵の肖像画がかかった
オフィスで、モンゴル軍団精鋭の末裔と商談をしました。
狭い回廊にコサック騎兵が殺到した瞬間、
一斉に、ホッチキスが火を噴きます。
???
日本がフランスメーカー、ホッチキス社から買った機関銃です。
ホッチキス社は、弾薬を連続して送り込んで、
ガチャっと檄鉄をおろす機構を
そのまま小型化した事務用品で、有名になった会社です。
バタバタと犠牲者を出したコサック騎兵は、
クロポトキン司令官の命令も聞かず、
勝手に撤退してしまいます。
コッサクは、ロシア人の言うことなど聞かないのです。
最強を謳われたコッサクが逃げたとあって、
ロシア軍は総崩れとなり、奉天をほったらかして撤退、
日本軍の大勝利となり、奉天の町には無血入城を果たします。
日本陸軍は世界で初めて機関銃を制式採用の上、
大量購入しました。 英国ヴィッカース社の水冷式重機関銃の
方が銃身を水で冷やしながらガンガン撃てるので、性能は
良かったのですが、重くて持ち運べません。 これはロシアが
買って旅順の要塞にすえつけました。 日英同盟が
あってもなくても、日英共通の敵ロシアがお客さんであっても、
英国兵器産業は、関係なく売れるものは売ってしまいます。
逆に日本はロシアと組んで日本を脅してきた国、しかも
ロシアの戦費を賄う資本家の本拠地の国であるフランスに
機関銃を買いにいきます。 こっちのものは空冷式なので、
銃身が熱くなり過ぎないよう、性能は抑えてあるのですが、
軽くて、歩兵が持ち運べます。
日本は、あちこちで、ホチキス軽機銃を撃ち、分散している
印象を与えておきながら、最後、ここという勝負の時と場所に、
全軽機銃を狭い回廊に集中し、十字砲火を浴びせたのです。
日本軍が確立し、実戦で有用性を証明した
空冷式軽機銃を歩兵が持ち運んで運用する方式。
その後、世界標準となり、多少、由来が異なりますが、
突撃銃と名前を変え、今日に至っています。
陸軍の三大兵科といえば歩兵、砲兵、騎兵でしたが
奉天大会戦により歩兵が装備する軽機銃が標準装備となり
機銃に脆弱な騎兵は花形の精鋭の座から一気に過去の遺物へと
転落します。 今日でも騎兵という兵科の名称は残っていますが
馬ではなくて攻撃ヘリに搭乗しています。
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