このブログはリンパ球バンク株式会社の社長時代に、会社社長ブログとして会社HP上に掲載されていたものです。ちょうど還暦を迎えるタイミングで社長の責を後任に譲り一時は閉鎖しておりましたが、再開を望まれる方もいらっしゃるため、別途個人ブログとして再掲載するものです。ANK療法という特定のがん治療に関しては、同法の普及のために設立されたリンパ球バンク株式会社のHPをご覧ください。
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2014.8.17.
都塚古墳が、日本では初めて確認された
ジグラッド(階段状ピラミッド)構造の古墳だったと
各メディアが大きく報道しています。
要するに、石舞台のすぐそばにある重要な古墳で
ありながら、ろくに調査をやってこなかった、という
ことですが、今回の報道について、特徴的なことは
明確に古代王国 高句麗 との関係を大手メディアが
報じていることです。 高松塚古墳も、結局は
高句麗古墳であることが認められましたが、
あんまり、TVや、大手新聞で、派手に報道するのは
みかけません。 やや学術系の書物になると
はっきりと高句麗古墳と書いてあります。
西アジアには、いくつもジグラッドがあり、
代表格は、人類史上最大の帝国ペルシアの
大王キュロス王の墳墓でしょう。
東アジアで、ジグラッドといえば、中国にある高句麗王墓が
有名です。
おかげさまで、キュロス王の墳墓も、高句麗の王墓とされる
将軍塚も、どちらも実際に登ってきましたが、写真でみるより
圧倒的な迫力がありました。 全体の大きさは、もちろん
エジプトのピラミッドの比ではありませんが、使用されている
巨石は、ピラミッドよりずっと大きく、どうやってこんなものを
運んだのか、今のところ、説明がつきません。
ちなみに、キュロス王の墳墓のすぐそばには、数千年たっても
錆びない古代の純鉄が、そこらへんに転がっていました。
現代の製鉄技術の限界を5桁も上回る超高純度であるイレブン・ナインの
鉄が、古代の神殿造りに大量使用されていましたが、その一部が
何気に転がっていました。
キュロス王墓と高句麗の王墓は、そっくりな形です。
東アジアで本格的なジグラッドというと、高句麗ということになり
今回の都塚古墳が、ジグラッドであるというのは、古代日本の
一般的なイメージをひっくり返すインパクトがあります。
一応、蘇我氏の墓であろうとする説が報道されており
さらに、蘇我氏は、高句麗王家の血をひくという
実は、昔から、知られていながら、一般にはあまり報道されなかった
事実が、盛んに大手メディアから発信されています。
蘇我氏の基盤を築いた蘇我稲目の一代前が、蘇我高麗氏であり
聖徳太子の祖母もそうなりますが、蘇我高麗氏の母は
高麗姓です。 高麗(こま)というのは、高句麗の国号でもあり、
また、日本書記には、広開土王(好太王)の子孫が日本で
高麗氏を名乗ったとしています。
日本人に生まれながら、なぜ、日本という国は日本というのか
いつから、そう呼ばれるのか、いつ、国家の礎が築かれたのか
聖徳太子の時代よりも遡る仁徳天皇陵をはじめ、日本史上
最大級の史跡がつくられた時期に、何が起こっていたのか、
ほぼ、学校では教えられることはなく、
「中国から文明を導入した」という根拠なき作り話を
吹き込まれてきました。 一方、高句麗は朝鮮の一部という
およそ正確ではない矮小化されたイメージで、ほんの少し
教科書にでてくるだけでしたが、高句麗の言語は、中国語とも
ハングルとも類似性は乏しく、基本的に日本語に近いものです。
例をあげればきりがないのですが、日本国家建設の重要な時期の
歴史は、表向き、消され、あるいは、「大和の国」だったはずが
突然、「日本」書記が登場して、これが正しいんだ!!と
主張され続けてきました。
そろそろ、歴史の世界でも、真実が語られ、公になる時が
始まっているようです。