このブログはリンパ球バンク株式会社の社長時代に、会社社長ブログとして会社HP上に掲載されていたものです。ちょうど還暦を迎えるタイミングで社長の責を後任に譲り一時は閉鎖しておりましたが、再開を望まれる方もいらっしゃるため、別途個人ブログとして再掲載するものです。ANK療法という特定のがん治療に関しては、同法の普及のために設立されたリンパ球バンク株式会社のHPをご覧ください。
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2012.5.15.
おおよそ6500年前
今日のブルガリア、トラキア平原には
当時としては、圧倒的に最大級の集落が
広がっていたと考えられています。
ヘロドトスが書いた「インドの次に人口が多い」
としたトラキア人とは、当然、時代がまるで
異なります。
とにかく、やたらと古墳だらけでした。
何の変哲もない畑のわきを、羊の群れが
通り過ぎ、すぐ横に、古墳がある、、、
畑の中に古墳があるというより、見渡す限り
古墳が群がっており、その隙間に畑をつくったようにも
見えます。 土をもった、外見上は、ごく普通の古墳で
これが、調湿作用など、環境保持の機能を果たし
数千年の時をこえて、内容物を守ってきました。
写真を並べればいいのですが、黄金の像の数々は
半端な量ではなく、芸術性も非常に高いものを
感じました。
内部の壁画には、あらゆる「顔」が描かれています。
今日のユーラシア北部の民族の大半が、かつて
この地を通して広がっていたったとする考古学上の説は
なるほど正しいのかも、と感じるほど、さまざまな民族の
特徴をもった顔がそろっています。
この地方特有のブルーの顔料は今も色あせず、古墳内部を
ブルーの輝きに満たしています。
我が家の食卓にも、この古墳群でみかける色彩と同じ
鮮やかなブルーの器がいくつも転がっています。
あまりにも古墳の数が多すぎ、歯ブラシとピンセットで
発掘するのは無理があると、ブルドーザーで古墳のど真ん中を
2m幅くらいで、削り取り、断面にあらわれた部分を調査するという
荒技を用いる考古学者もいて、当然、乱暴すぎると非難の嵐も
受けているようですが、じゃ、どうやってこれだけの古墳を
調査するのか、と、反省の色はないようです。
トラキア平原の近くに、オルフェース神殿があります。
ギリシアの人々は、アレキサンダー大王が、ヘレニズムを東方へ
伝える出征を行うに際し、まず、北の難敵のトラキアを鎮め、
後顧の憂いを断ってから、出撃した、その際、オルフェース神殿で
神託をうけたのである、としています。
ところが、オルフェース神殿というのは、もろ、トラキアの
ど真ん中にあります。 実際にいってみると、なるほど、
オルフェース神殿は、とんがり、天に向かって突き出た頂きにあり
如何にも天上におわします特別な存在と交信する聖なる場という
雰囲気はあります。 彼の地の空は、独特の透明感が今もあり
夕日に沈むオルフェースの眺めは神秘的でしたが
実際にいけば、オルフェース神殿は、いわゆる「拝殿」であって
神殿の本殿でないことはすぐにわかります。
地元では、オルフェースはあまり重きを置かれておらず
本殿であるペりぺリコンの山を崇敬しています。
オルフェースの頂きより一段、高みにあるペりぺリコンの頂上には
トラキアの英雄、アレキサンダー大王が神託を受けたとされる
「椅子」があります。 椅子といっても、岩がくぼんだように
掘りこまれたものです。 そこに座ると、地上の世界とは
別次元へと超越するような不思議な体感があります。
アレキサンダー大王は、神託を受け、本人というより父の
功績が大きいですが、ギリシアや周辺諸民族を従え、
ひたすら東方へと向かいました。
学校の教科書では、ペルシアに侵略された恨みを返そうと
ギリシア人が一致団結して、復讐をした、と書いてありましたが
それはギリシアが後から勝手につくった話のようです。
アレキサンダー大王は、きわめて寛容にペルシアを扱い
そして、ペルシアの義勇兵も加え、ペルシアのさらに東を
めざし、インドへ進みました。 アレキサンダー大王の
遠征は、あくまで、トラキアの東方遠征であり、ギリシアは
脇役でしかありません。 そしてその本来の目的は
インドを超え、さらにその東のまた東でした。
このペりぺリコンの山は、いわゆるブルーマウンテンです。
みればすぐにわかりますが、「銅」の塊です。それも
大量の錫を含んだ、天然の青銅の塊です。
一応、鉱産物ビジネスを少しの間やったことがありますので
あれほど、顕著な鉱脈はみればすぐにわかります。
あとから調べたのですが、古代ヨーロッパにおいて
トラキアとスコットランドのある地域は、交易の中心地だったようです。
青銅の原料となる錫を産するから、とされていますが、錫というより
ペりぺリコンは掘れば青銅がとれるというほどの良質の鉱山でしょう。
なお、神聖な頂きの空間から下方に垣間見える7000年前の
ある特別な儀式の場をみたときには、複雑な心境となりました。
中東各地でよく見る造りなのですが、生贄を捧げる場です。
血が流れ出る仕組みになっています。
ただし、7000年前の生贄は、動物ではありません。
のちに、羊などの動物を代わりに用いるようになるのですが
当時は、そういう妥協はしなかったのです。
トラキア
ドラキア
ドラキュア
とやってくと
映画の有名な主人公の名前になりますが
実際に、トラキアが語源なのかどうかは知りません。
ただし、ドナウ河を渡った対岸は、
トルコ軍の侵攻を食い止めるべく戦った
トランシルバニアの英雄、ドラキュラ伯爵の
領地があります。
もっとも、ある時代、「本物の生贄」を捧げる儀式は
世界各地で行われていたようです。
子供のころに読んだギルガメッシュの叙事詩をはじめとする
古代世界における、人類創世神話の恐ろしさが脳裏をよぎります。