このブログはリンパ球バンク株式会社の社長時代に、会社社長ブログとして会社HP上に掲載されていたものです。ちょうど還暦を迎えるタイミングで社長の責を後任に譲り一時は閉鎖しておりましたが、再開を望まれる方もいらっしゃるため、別途個人ブログとして再掲載するものです。ANK療法という特定のがん治療に関しては、同法の普及のために設立されたリンパ球バンク株式会社のHPをご覧ください。
本ブログは、あまり標準的ではない特殊な治療の普及にあたり、「常識の壁」を破るために、特に分野は特定せずに書かれたものです。「常識とは、ある特定の組織・勢力の都合により強力に流布されて定着したからこそ、常識化した不真実であることが多い」という前提で書かれています。
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2011.12.17.
何やら、真珠湾空襲は米国が仕掛けた罠であるとの説に
対し、大手各紙が、肯定派、否定派、中間派、
各々、全く異なる見解を載せ、こんどは
それをネタにネット上で議論が飛び交っているようです。
マスメディアは、対立する意見が存在する場合、
一方の主張のみを報道してはならないとする
法規制がありますが、そんなことをするから
凡庸な説だけが取り上げられ、真実は
議論すらされなくなります。
ある新聞が極論を掲載し、別の新聞が
全くことなる極論を掲載し、中庸の説を載せるところもある、
これで初めて、議論ができるのではないでしょうか。
過去の事実が白か黒かの話に突っ込み過ぎると
昔のことなのですから、本当のことは絶対こうであった、
とは誰もいえませんので、水かけ論となっていきます。
考古学など、よくそこまで言う!! という話をしますが
しょうがないですよね、かけらの様な証拠の類から
とにかく、推測するしかないのですから。
重要なのは、今にどうつながり、未来にどう影響するか、
ですが、米国は、明確に対日開戦前から、日本の占領政策を
計画していました。それが、今日の私たちの日常生活にまで
深い(不快?)影響を及ぼしています。
当たり前ですよね、戦争やったんですから。
勝って、何もしない、仲よく平和に暮らしましょうね、
で終わるわけないんです。
打ち負かした国には、徹底的に、
未来に及ぶ悪影響を与えていきます。
でも今回は、その話はなし、です。
それに比べ、日本は、人がいいのですが
いくら何でもというぐらい、
対米戦略はないに等しかったのです。
仕掛けていたら、もう少し考えていたでしょう。
アジアの植民地支配脱却は意図していましたし
実際、第二次世界大戦の結果、アジア諸国が次々に
欧米の植民地支配を脱し、独立を勝ち取っていきます。
さて、日本の虎の子、「空母機動部隊」は、ハワイに一撃を
加えただけで、占領するプランをもっていませんでした。
やるなら最初の奇襲で占領してしまえばいいのです。
補給路を確保するのに遠すぎるという理由ですが
敵の拠点を残すから、防衛に戦力を割かざるを得なくなり、
また、輸送船を沈められてしまうのです。
逆に、米軍は本土空襲に備えることが急務となり
反撃の投入する戦力は細ります。
「常に、仕掛け続ける方が有利になる」
これは兵法でもビジネスでも共通の原則です。
空母機動部隊は、二次攻撃もしないで
ハワイの港湾機能や給油能力を無傷のままにして
さっさと引き換えし、途中、ウェーキ島を
空襲、占領しますが、虎の子は主戦場に対して、
集中的に投入します。
それはインド洋です。
インド洋こそ、日本が描いた戦争の終わり方において
最も重要なカギを握るエリアでした。
フィリピン、マレー半島、ボルネオ
インドネシア、ニューギニア、スマトラ、こういった
地域へ侵攻するのですが、太平洋は放ったらかし。
米国に勝つことはまるで考えてもいないわけです。
米国が戦略物資の対日供給や、日本の海外資産凍結を
強行したため、自分で資源を取りに行った、
正に、米国の仕掛に対して、日本は対応せざるを
得なかったのです。
そして、満足な護衛もつけられない
米国の輸送船団には見向きもせず、
インド洋に虎の子を送り込みます。
また東アフリカ沖合には、大量の潜水艦部隊や
通商破壊戦(輸送船を沈めること)専用の
巡洋艦部隊を送り込みます。
英連邦軍というと、英国のほか、カナダや
オーストラリアなども含まれるのですが、
インドは英連邦軍の軍事物資の8割を生産していた
英連邦軍の台所です。
兵員の数も圧倒的で
英連邦軍といえば、インド師団がたくさんいたのです。
一時はインド洋を航行する輸送船を全滅させ
英東洋艦隊にも壊滅的な打撃を与えたため、
地中海から中東に至るまで英連邦軍は補給を断たれ、
おかげで優位に立ったロンメル将軍率いる
ドイツ北アフリカ軍団から感謝状も届きます。
このまま続けてくれれば、英連邦は米国からの
補給だけが頼り、そこは大西洋に展開するUボートが叩く、
実際、この時期は米国の輸送船を次々に沈め、
Uボートの黄金期を迎えていました。
中東の油田地帯はドイツが占領し
ソ連の油田といっても、要は、中東に隣接する
アゼルバイジャン、バクーなので、ここも制圧、
中国の蒋介石軍への補給も完全にシャットアウトし、
日本軍とドイツ軍は中東で合流、
インドを独立させれば、
ユーラシア大陸の東から西まで、
石油を失ったソ連以外の敵を一掃させる「はず」でした。
インド独立の母体として、日本が保護していた
チャンドラボース氏をリーダーとする
INAインド国民党軍も編成しました。
何でも持ってる米国さえ、天然ゴムだけは供給が断たれ、
国民から自家用車のタイヤを供出させるようなことまで
やっていました。
マダガスカル島は、日本の同盟軍である
フランス軍(ビシー政権)が駐留していましたが、
ここに英連邦軍が上陸し、英仏両軍の戦闘が始まります。
日本は、特殊潜航艇の攻撃により
英連邦の戦艦「HMSラミリーズ」に魚雷を命中させ
戦場離脱させます。
当初計画通り、インド洋制圧は、途中まで順調でした。
それが、突然、手の平を返し、虎の子も潜水艦も
インド洋から引き上げます。
こうして、日独仏伊の枢軸側が連合軍陣営に決定的な打撃を
与えるチャンスは永遠に消え去りました。
この後は、よくて鬩ぎあい、
悪くて、ただ押し込まれるだけとなります。
米国の罠など、ないと考える方が常識外れでしょう。
植民地支配を拡大していたのですし、
戦争する相手に対して、当然、仕掛けてくるものです。
ただ、罠は手がこんでいます。
日本は、大戦中、何度も「なんでやねん!!!」
という方針転換、あるいは、敵を目の前に何故か
弾も撃たずに引き返す「謎の反転」も何度か
やらかします。
おかしな作戦をやった人たちは、戦犯にもならず、
戦後もご活躍されています。