このブログはリンパ球バンク株式会社の社長時代に、会社社長ブログとして会社HP上に掲載されていたものです。ちょうど還暦を迎えるタイミングで社長の責を後任に譲り一時は閉鎖しておりましたが、再開を望まれる方もいらっしゃるため、別途個人ブログとして再掲載するものです。ANK療法という特定のがん治療に関しては、同法の普及のために設立されたリンパ球バンク株式会社のHPをご覧ください。
本ブログは、あまり標準的ではない特殊な治療の普及にあたり、「常識の壁」を破るために、特に分野は特定せずに書かれたものです。「常識とは、ある特定の組織・勢力の都合により強力に流布されて定着したからこそ、常識化した不真実であることが多い」という前提で書かれています。
TOP > 敗戦記念日について
8月15日は、「終戦記念日」とされていますが、
実態は、「敗戦が確定した日」です。
終戦という言葉は「戦いに敗れた」という事実を
反映していません。
また、戦争はまだ終わっていません。
今日の私たちの日々の暮らしから、
金融、医療、農業、教育、、、、
あらゆるものが、いまだに第二次世界大戦に
よって制定された体制の中にあります。
日本は、戦後賠償を実行する目的のためのみに
製造資産を有することができる、
(つまり、戦後賠償のために日本人は働き
いくら働いても国民は豊かにならない)とした
ポツダム宣言を受諾後、更に、日本国家の主権が
存在しないことを認める講和条約が締結され
今日に至っていますが、この件は、次回以降に。
8月15日以降も、世界の各地で、日本人は
戦闘を続けました。 敗戦の事実を知らされていない、
知らされても信じない、敗戦したことは分かるがまだ戦う、、、
こういった個人や組織による戦闘継続もありましたが、
敗戦の事実を認めたうえで、
欧米植民地支配に抵抗する東南アジア諸国の独立運動に
身を投じ、義勇軍として戦闘に参加した個人や部隊も
います。
前職の勤務先企業にとっても、インドネシアは
大変、重要なビジネスパートナーでしたが、その背景には
旧日本軍部隊が、「戦後」、インドネシア独立戦争に
協力した流れがあります。
また、中国向け医薬品ビジネスを一緒にさせていただいた
大先輩のおひとりは、毛沢東指揮下の八路軍に義勇参加した
軍医だった人です。 当然、中国共産党や、日本の厚生労働省に
該当する衛生局にパイプがありました。
こうした日本国家の方針とは無縁に、各個に戦った
部隊や個人とは違って、日本国家の軍隊として
正式に、他国軍と戦闘した部隊もありました。
8月9日、長崎に原子爆弾が投弾された日
ソ連軍は、日ソ相互不可侵条約を無視し、
ソ満国境を越え、また、北千島に水陸両用部隊を
侵攻させます。
ソ連軍による侵略行為は、その後も続くのですが、
8月18日には、北千島航空海戦が勃発します。
「終戦記念日」後に、両軍は国を代表して
戦ったのです。
敗戦時、日本航空総軍(空軍)には、3万機もの
作戦用航空機がありました。 特攻命令が下ったのは
殆どが、学校を出たての経験の浅いパイロットで、
乗ってる飛行機も、大半が、旧式機でした。
新鋭の高性能機は、大東亜決戦機と称し、
前線には出さずに温存され、ベテランパイロットも
本土決戦に備えていました。
資材は底をつきかけてはいましたが、
一番、不足したのが、「米国からの輸入品」である
エンジンオイルでした。
何と、開戦後に入港した商船が運んだドラム缶1万本分の
米国製エンジンオイルで飛行機を飛ばしていたのですが、
(ドイツは、戦争中も米国品を継続輸入していました)
もう、6千本以上使い、残りは4千本を切っていました。
それでも、本土決戦で、短期間、戦闘を実施する
だけの強大な戦力を温存していました。
ところが、北辺の守りに回されたのは、雀の涙ほどの戦力で
それもハワイ空襲に参加した旧式機でした。
その中の艦上攻撃機1機が、爆弾を抱いて
ソ連艦隊を攻撃します。
輸送船団の護衛についていた海防艦に
爆弾を命中させ、轟沈させます。
更に、別の一隻に体当たりを敢行し、
これも撃沈します。
キリスト教世界に、自ら死を決する攻撃、
という概念はありません。
これは大変な驚きを与え、
また、実際にも脅威であり、
その後、別の日本機が来襲すると
ソ連艦隊はびっくりして
撤退します。
翌、8月19日、ソ連極東軍司令官と
満州に展開する関東軍や、千島方面軍などとの間で、
「停戦協定」が結ばれ、正式に「撃ち方やめ」となります。
北海道の分割領有を考えていたソ連は、その後も強引に
進駐を続けますが、一応、日ソ両国間の戦闘行為は、
8月19日に、現地戦闘部隊間の休戦協定が交わされ
「休止中」、戦争状態そのものは、今日も継続している
と考えられます。
ポツダム宣言には、最終的にソ連も署名した、とか、
いや、日本は、「連合軍」に対し、ポツダム宣言の受諾を
申し入れたのであって、ソ連は、連合軍ではない、など
いくつも複雑な問題があるのですが、少なくとも
戦争終結に伴って締結される講和条約は存在しません。
つい、数週間前にも、ソ連の継承国家であるロシアの
ネタニヤフ外相が、日本との間に、第二次世界大戦の
講和条約が存在しないことについて言及していましたが、
外交上は、日ソ、および日露両国間は、戦争状態にあり
戦闘行為については休戦中、という解釈になります。
この問題と、北方領土4島は、別問題です。
サンフランシスコ講和条約によって、日本は
「連合軍」に対し、千島列島の領有権の放棄を
宣言していますが、例によって、連合軍に
ソ連は入っていませんので、ソ連が千島列島を
占領しているのは、あくまで戦争行為として
軍事占領している、ということになります。
ところが、北方領土4島については、
サンフランシスコ講和条約に定める
「日本の領土は、主要島および、周辺小諸島」に含まれる
固有の領土である、とするものです。
千島列島の領有権そのものは、相手が誰であれ
放棄を宣告したのだからしょうがない、でも
四島は、その中に含まれない「本土」なのに
ソ連軍が占領を続けている、けしからん、帰れ
というわけです。
日本国民が、戦争が終わった、と
敗戦のショックに打ちひしがれている時、
北方の海で、命を投げ出して戦った人がいました。
その後の、外交交渉によって、北方四島について
ロシア側の譲歩を勝ち取るのですが、過去の
努力を一発で吹き飛ばしてしまう大失態を
現、民主党政権は犯してしまいます。
佐藤優氏のような、外交のプロを排除した
ツケが廻った、という一面もありますが、
国家が、国益のこと、つまり国民のことを
考えないのですから、我々、国民が
ボーっとしていると、ますます、国民不在の
政治が横行することになります。
(だから、がん治療も、混乱の極みにあるのです)