このブログはリンパ球バンク株式会社の社長時代に、会社社長ブログとして会社HP上に掲載されていたものです。ちょうど還暦を迎えるタイミングで社長の責を後任に譲り一時は閉鎖しておりましたが、再開を望まれる方もいらっしゃるため、別途個人ブログとして再掲載するものです。ANK療法という特定のがん治療に関しては、同法の普及のために設立されたリンパ球バンク株式会社のHPをご覧ください。
本ブログは、あまり標準的ではない特殊な治療の普及にあたり、「常識の壁」を破るために、特に分野は特定せずに書かれたものです。「常識とは、ある特定の組織・勢力の都合により強力に流布されて定着したからこそ、常識化した不真実であることが多い」という前提で書かれています。
TOP > 人類史(4) 人類発祥の海辺
2011.3.6.
関接の動きで擦れるところと頭部を除き、
体毛が退化し、水の抵抗が少ない生え方を
する人間。皮下脂肪をもち、気道に水の侵入を
防ぐ弁があり、潜水に適した血流シフトを自動的に
行い、生まれたての赤ちゃんがいきなり泳げる、、、
また、人間は涙を流します。
犬や猫はどんなに虐めても涙を流して泣くことは
ありません。 涙はしょっぱいですが、塩分が
濃縮されています。涙は水生ほ乳類や海に潜る鳥類には
ごく普通に存在するもので、海水を取り込み過ぎた際に
塩分を濃縮して体外へ放出する働きがあります。
人類水生起源説は、淡水ではなく、「海辺」で
人類が誕生した、としています。
人間は陸生哺乳類としてはかなりの「変わり者」
ですが、水生ほ乳類とみれば、ごく普通の特徴をもつ。
これは、人類が進化の過程のどこかで、水生生活を
送ったことの証しにはなっても、「水の中で人類が
発生した」とまでは言えません。
サルが直立二足歩行を常態として始め、人類となった、
そうだとして、なぜ、直立二足歩行をしたのか、
その理由が、今のところ、「海辺で暮らしたから、
その方が楽だし、負担なく移行できた」を超える説が
ないのです。
今回は説明しませんが、水生起源説に反対する学説の中で、
陸上でいきなり直立二足歩行をするメリットを証明できる
まともなものがないのです。 どう考えても、陸上動物が
いきなり直立二足歩行へ移行すると不利なことばかりなのです。
また、脳が大きくなった、言葉を発話できるようになった、
その他、諸々の人類の特徴とされているものは、直立二足歩行の
確立後、自然にそうなっていった、と考えられています。
しかも、すくなとも250万年間、人類はただ直立二足歩行を
していた。 それ以外、化石からわかる範囲では、サルと
何も変わらないのです。 ちなみに、皮下脂肪があったかどうかは
化石ではわかりません。
さて、猿人アウストラロピテクス・アファレンシスは、450万年前から
200万年前ころまで、東アフリカ大地溝帯に沿って生息していたと
考えられています。 とんでもないところからも化石がみつかっては
いるのですが、殆どの化石が東アフリカ大地溝帯の各地から出ています。
そこには、湖が沢山あるのですが、塩水湖が多いのです。
塩分が濃い湖で大量発生するクロレラを食べたフラミンゴが
クロレラの色素の代謝物によって、ピンク色の足に染まっていくのですが、
なぜ、東アフリカ大地溝帯には、塩水湖が多いのでしょう。
特に、エチオピアからエリトリア、ソマリアにかけて、地下水脈には
膨大な塩分が含まれています。井戸を掘ると濃厚な塩水がでてくることが
多いので、こうした事実が明らかになっていきました。
今日では、600万年前から、800万年前にかけて、北アフリカは
海に沈んだ、と考えられています。実際には、何度も水没と陸地化を
繰り返し、その度に分厚い塩の層ができたと考えられています。
ある時期、アフリカ大陸とユーラシア大陸が狭いアファール地峡
(海峡の逆ですね)でつながっている状態が続きました。
地峡の両側の類人猿の化石分布から、「サル」がこの地峡を通過
していたことは確実と考えられています。やがてアファール地峡も
海没し、ポツンとダナキリ島が残ります。今日のエチオピア・
エリトリア国境にあるダナキリ山脈です。減少した陸地面積の中で
生存競争が激化する中、雄の半分の体で、牙も持たない類人猿の
メス達は、生き残るため、海に飛び込んだ。これが、人類水生起源説の
想定している人類創世の場面です。
そこで証拠探しが行われます。
当然、化石調査の場所として選ばれたのは
かつてのダナキリ島の海辺、アファール地峡が
沈んだ辺り、今日のエチオピア、アファール砂漠
人類が住むもっとも暑く、過酷な環境と呼ばれる地域です。
残念ながら、誕生したての人類の化石がみつかったのでは
ありませんが、狙ったドンピシャの場所で、人類最古の「女性」の
化石が発見されます。 (続く)