2017.8.27.



前回からの続きです。

NHKスペシャルの番組中で
戦後、米軍に協力することで
自らは戦犯裁判を回避した
一連の軍関係者を紹介していましたが
その中に、服部卓四郎と辻政信が
含まれていました。

今回は、番組で紹介されなかった
戦前、戦中の辻政信の行動についてです。


服部卓四郎が上司、
辻政信が部下で、
勝手に無茶をやりまくる部下が
何をやっても、上司がかばい
一緒に出世していく、というパターンです。



この人物、主に作戦参謀として「活躍」し
「作戦の神様」と称されていました。

最大の「功績」は、兵站を無視したことです。

日本の陸軍の歩兵は、背嚢(リュック)に
20日分の食糧をつめ、武器弾薬も携行できるだけ。
これで、補給なく戦え、ということです。

古代より兵站は、最重要事項です。

腹が減っては戦はできないわけですし
弾がなくなったら、撃つことはできません。
後方からの補給なき軍隊は風前の灯です。

当然、前線の兵士は、食糧調達のため
現地住民ともめることになります。
食糧は自給といっても、20日分が
なくなるまでに、畑を耕して収穫するのは
無理です。 
現地にあるものを「戴く」しか
ありません。 
南太平洋のジャングルでは、
食糧をねこそぎもっていく日本軍と
やたらと物をくれる米軍、どっちに
原住民が協力的だったか。
日本軍の行動は常に監視・通報されていたのです。

もちろん、こんなとんでもない軍事の定石破りを
辻政信ひとりで軍の基本方針にできたわけではありません。

日露戦争後、日本人の精神骨抜き作戦の一環として
常軌を逸した歪んだ精神至上主義を日本の青年将校に
吹き込んだハウスホッファー卿。
第二次大戦のドイツ戦争指導者の師匠でもあり
彼がドイツを戦争へ導けるように
米独の金融・産業財閥を紹介した「エンジェル」でもあり、
ゾルゲの師匠でもあります。

歪んだ精神主義の信奉者達は、226事件を起こす
ことになります。

こうした「地道」な活動の上に
兵站を無視するというあり得ない基本方針が
定着していきます。

また、ハウスホッファー卿は
島国日本に対して、陸軍には
中ソ二正面作戦を刷り込みます。

海に囲まれているのですから
海軍が主導権をもつべきですが
日本は、長州閥の陸軍が中心、
しかも、小国なのに、中国とソ連
二つの大国を同時に相手にする
基本方針を刷り込んでいきます。

海軍の方は、太平洋を挟んで、米国と対峙する
これが基本方針となります。

ただでさえ限られた国力を、全ての超大国を
同時に相手にするように、振り向けさせる策でした。


作戦の神様、辻政信も、熱心に
中ソ二正面作戦を主張し、
既に、シナ事変の拡大が国力を
蝕んでいた時期に、満州へ赴き
作戦参謀として、ソ連戦の
準備を進めます。

ヨーロッパで第二次世界大戦が本格的に始まる前夜
ノモンハン事変が勃発します。

ロシアは、日露戦争で連戦連敗、揚句に日本の特務機関の
援助を受けた革命分子が活動を活発化し
本国の体制維持もあやしくなってきたロシアは
講和条約締結に同意し、南樺太を割譲しました。
その後のロシア革命により、国力は弱体化し、
日本軍によるシベリア出兵を始め
ソ連軍となった後も、負け続き。
自信を取り戻す必要があったソ連軍は
後に、日本とドイツの命運を左右する
ことになる智将ジューコフ将軍の指揮下
最精鋭部隊をシベリアに集結します。
「本気」で、戦闘準備を進めていました。
ノモンハン事変が収拾された翌月には
ドイツ軍がポーランドに侵攻、第二次世界大戦の
欧州戦役が始まります。 
更に、ソ連軍もポーランドに侵攻、
独ソ両軍はポーランドを分割統治します。
この緊張した状況下、
ソ連軍の虎の子精鋭部隊は、ずっとシベリアにあり、
ドイツ軍がソ連に侵攻しても動かず、
対日戦に備えていました。

そして、ここぞというタイミングで欧州へ転戦
モスクワ包囲網突破、レニングラード包囲網突破と
次々にドイツ軍を破ります。

満州軍と外モンゴル軍の偶発的な衝突から
始まった戦闘に対し、辻政信は、徹底した
紛争拡大を画策、収拾を目論む陸軍中枢部の
意向を無視し続けます。 

ソ連軍機甲部隊の本格参戦により
日本陸軍にとっては、最大の脅威である
ソ連陸軍との前哨戦となりました。


当時、近代兵器を駆使するソ連軍に
一方的にボコボコにされた、と考えられていました。
戦後、ソ連側の資料が公表され、意外に
ソ連軍の被害の方が大きかったことが
明らかになりましたが、それはともかく、
ノモンハンで、ソ連軍の猛威を見せつけられた
事実に変わりはありません。

作戦参謀であった辻政信は、補給を全く無視し
前線の部隊は全滅に追い込まれますが、
部隊司令官に自決を強要し、
自分が責任をとろうという
気の迷いは一切ありません。

この後、作戦の神様は、一気に、対米開戦に
突っ走る海軍に同調し、対ソ連戦用に満州へ
集結させた関東軍の精鋭部隊を、南方戦線へ
転戦させることに狂奔します。



ハワイ空襲より先んじて
英領マレーシア、コタバルに対し
敵前上陸を敢行した日本軍は
英連邦に対する戦闘行為を開始しました。
国会への報告でも、
「帝国陸海軍は、西太平洋上において
 米英と交戦状態に入れり」と
発表されますが、先頭を切ったのは
西太平洋マレー半島でした。

この最初の一弾を放った
マレー半島侵攻・シンガポール攻略は
作戦の神様が作戦参謀を務めます。

かなりの無茶ぶりが批判されましたが
結果的に、シンガポールも陥落しましたので
益々、「作戦の神様」の名を強める
宣伝に成功します。
ただし、シンガポール住民の大量虐殺を
進言したことも知られています。
アジアを一つにする、とか
地元民と友好な関係を築くとか
そういう発想はないようです。

マレー半島のほか、フィリピン、
ボルネオ、ジャワ島と、内南洋と呼ばれる
島々で囲まれた地域を占領
第一段作戦、開戦前から
決定していた作戦が完了し
石油や金属など南方資源を確保しますが、
作戦の神様は、シンガポールから
まだ、戦闘中だったフィリピンへ異動となります。
ほどなく戦いは、日本軍の勝利に終わりますが
今度は、米軍将兵の捕虜をすべて銃殺するよう
勝手に命令を出したとされています。

第一段作戦終了後の非常に重要な時期に
日本海軍はインド洋へ進出、大局が大きく
有利に傾く最大の好機が訪れます。

英連邦の軍需物資の8割を供給するインドの
周辺から、英連邦艦隊を一掃し、
通商ルートを破壊。 
さらにインド国民党を送り込み独立を促します。

日本に消耗を強いる中国国民党軍の兵站も
インドからビルマ経由、後にヒマラヤ経由の
空輸となりましたが、要するに、インドという
大元を寸断する好機が訪れました。

また北アフリカや中東への兵站線となっていた
東アフリカ航路の連合軍の輸送船を全滅させたため
英軍は深刻な弾薬不足に陥り
北アフリカのドイツ軍が一気に優位に立ちます。
そのままドイツ軍が、エジプトを通り越し
中東まで侵攻すると、
第二次大戦の基本構造を崩す可能性が生まれます。
ドイツは、石油や工業ダイヤモンド等の
重要戦略物資を中立国スペインを介し、
米国からの供給に依存していました。
ドイツが、独自に資源を確保する状態となると
米国のドイツ指導層へのコントロールが実態を失い
ドイツ指導層が、自由を得ることになります。
また、親衛隊のアイヒマンは、強制収容所に
集められた特定民族を仏領マダガスカルへ移送し
その民族の楽園を創る構想を上層部に進言します。

第二次世界大戦の底流を動かすピースのいくつかが
大きく動きかけた時、作戦の神様をはじめ、
陸海軍の一部の人々が狂奔し、基本戦略が
ぐらつき始めます。
大混乱の中、日本海軍はインド洋から引き揚げ、
完全に迷走をはじめます。

英連邦軍は、空母二隻をマダガスカルに派遣
フランス軍の守備隊との交戦は大戦末期まで
続きますが、「楽園構想」は頓挫します。

巨大戦力を持て余し始めた日本海軍は、
占領したところで、ほとんど何の意味もない
ミッドウェー攻略へと、無敵艦隊の
舵を切ります。


その後、結果的におちついたのが
基地航空隊の支援を得ながら
島と島とをつないで、
オーストラリアの北から
南東まで、ぐるりと包囲し
米豪を遮断するという基本方針です。
それで、何がどう意味があるのか
よくわかりませんが、作戦の神様の
一味は、そういう作戦なら、
陸軍の兵を出す、と称し、
ミッドウェー占領に
割り振っていた部隊を提供します。
たった、900名、これで
天下分け目のガダルカナル島の
奪回作戦を始めます。


オーストラリアの真北に東西に
長く延びるニューギニア島の東部

東方のニューブリテン島ラバウル

更に南東ソロモン群島にあって
ポツンと一つだけ航空基地が設営可能な
ガダルがナル島と、次々に基地が
つくられます。

作戦の神様は、ニューギニア島の攻防で
連合軍の基地として、とても目障りな
ポートモレスビー攻略作戦を進言します。

自らが標準化させた、20日分の食料を
背負って、補給なく、島の北側から
4千メートル級のオーエンスタンレー山脈を越え
南側にあるポートモレスビーを攻略する、という
あり得ない作戦です。
熱帯ジャングルから寒冷の高山まで探検に
いくような秘境に補給なしで戦争に
行かされた部隊は、オーエンスタンレー山脈を越え
ポートモレスビーの灯火を見ながら、
敵との戦いに倒れた者もいましたが、
それ以前の劣悪な環境下で
疲労困憊し、病に倒れていきます。
当然、作戦は大失敗に終わります。

その後、両軍、決め手を欠いたまま
決戦の時は、沖縄戦が始まったあと、
終戦の3ヶ月前でした。


作戦の神様は、ガダルカナルの戦いでも
活躍します。
この戦いは、太平洋戦争の分岐点となります。
激戦は半年続きます。
米海軍は、太平洋で使える戦闘艦の全てを投入し
ほとんどを失います。
最後に残ったのは戦艦1隻だけ。
空母、巡洋艦は全て撃沈か、要修理、
護衛の駆逐艦も最後の1隻まで撃沈され
その後、米太平洋艦隊の再建には
ほぼ1年を要します。

これほど本気の米軍に対し
日本は、作戦の神様とその仲間たちが
次々に仰天の作戦や命令を下します。

ジャングル戦に不慣れな米軍は
ガダルカナル島に数万の人員を上陸
させたものの、ヘンダーソン飛行場と
周辺にへばりついていました。
島の西端を中心に展開する日本軍とは
互いに距離をとっていました。
作戦の神様は、地図も用意せずに
部隊をいくつにも分け、各々が、
ジャングルの中を道を開きながら
道があっても数日かかる山中を
東へ向け行軍させ、米軍基地がある北岸の
南方とおぼしきあたりに各部隊が集結後、
北へ向かって、全軍一斉に山から駆け下り
敵を駆逐する、という作戦を進言します。

重火器はもっていけず、小銃だけで戦えという
無茶苦茶な作戦ですが、
未開のジャングルの中で、迷う部隊も
続出し、敵と戦う前に倒れる兵が
続出します。

失敗に次ぐ失敗で、流石にこれは無理があると
現場部隊から意見具申があっても
作戦の神様は、それで信条を変えるような
人物であはりません、作戦規模を更に拡大して
継続させます。

飢えで苦しむところへ、人員を増強し
補給は届かないのですから、
状況は悪化の一途をたどります。

それでも海軍の戦艦2隻が
三式弾という対空用の砲弾
まあ、花火の化け物のような
かなり威力のある特殊な砲弾をはじめ
合計千発、ヘンダーソン飛行場周辺へ
撃ち込み、この基地は潰します。
ところが、第二飛行場が完成していたことを
海軍も作戦の神様も気付かなかったので
そちらは、砲撃もされずに
生き残ってしまいます。

アメリカ軍史上、何も形容詞をつけずに
ザ・ボンバードメント(砲撃)と言えば、
この時の艦砲射撃のことを指します。
近代戦になってから、米軍の地上部隊の兵士が
戦艦の艦砲射撃をまともに食らったのは
この時しかありません。

大混乱に陥った米軍に対し
日本軍の一部は、米第一海兵師団司令部の
目の前まで進撃し、別の一隊は、
ヘンダーソン飛行場の一隅に突入します。
太平洋の戦いの分岐点における最大の
争奪戦に、日本軍勝利の可能性が
はじめて見えたその時
作戦の神様は、地図もろくになく、見通しの
利かないジャングルを複数の部隊が延々と
道を切り開いて進み、しかも海軍の艦砲射撃に
ピタリ時間を合わせて突撃するという
作戦そのものの難しさを認め、作戦中止を
進言します。

こうして、勝利の機会は去り
以後、二度と、日本軍が主導権を取ることは
ありませんでした。

ガダルカナル島は、ガ島とも
飢島とも呼ばれていました。

作戦の神様が飢島に上陸したとき
とびきりの御馳走である銀シャリ
つまり白い米でつくったおにぎりが
用意されました。
ところが、これが消えてしまいました。
盗まれた、というより、作戦の神様に
不満をもつ兵士が押しかけ
堂々と持ち去っていったのです。
豪華な接待供応漬けになれていた
作戦の神様は、この件は不問に附します。

この戦いを境に、まともな作戦行動による
まともな勝利をあげることはなく、
一方的に押しまくられながら、見捨てられた拠点が
玉砕するまで戦い、敵の侵攻を遅らせるという
先のない道を転がっていき
もはや、作戦の神様の仕事はなくなります。
最後は、ビルマ戦線で、無茶苦茶な作戦を指示し
それは無理、と撤退してきた部隊の責任者に
自決を強要します。

戦後、英連邦軍の捕虜になるはずが
堂々と脱走し
米軍に積極的な協力を
申し出た作戦の神様は
衆議院、参議院議員を歴任し続け、
上司だった服部卓四郎と共謀して、
吉田首相暗殺の謀議をめぐらせたという
疑惑もとりざたされています。

最後は、ラオス・カンボジア国境付近で、
共産ゲリラと交戦中に行方不明となった
作戦の神様は、その後の消息は不明です。


この人物、会ったことはありませんが
奥様は、やはり華麗なるご一族であり
そのご一族がオーナーとなっておられる
世界ブランドをもつ企業とは
仕事を通して、縁深く
まあ、身分や生活レベルが違いすぎますので
家族ぐるみのお付き合いとはいかなかったですが
作戦の神様の華麗なる交流関係については
うかがいきいております。