2008.12.14.
 
 
遺伝子組換ファクターエイト製剤の国内臨床試験は、
患者症例2例のみで製造承認を得られる予定、
と説明を受けました。
 
製造承認取得を前提とした臨床試験については、
実例を含めて、このブログでも、書いていこうと考えておりますが、
ファクターエイトの場合は、異例中の異例です。
 
まず、健常人との比較が難しいです。
健常人の場合、ごく普通に、自前のファクターエイトという
糖蛋白質を、血液中に十分な量、持っています。
そこへ、人為的につくったファクターエイトを投与すると、
血液が凝固し易くなる、と考えられます。
微小な血液凝固物が、脳や心臓の冠状動脈に
詰まったりすると命にかかわります。
血液凝固系は、迂闊に「触る」と怖いものがあります。
外科手術の際、手術は成功に終わった、
ただ残念ながら翌日、合併症で、、、、
という場合、DIC とか、体内に発生した
微小な血液凝固物が重要な血管に詰まることが
原因の場合があります。 
 
また、プラシーボ、偽薬との比較もできません。
血友病患者(タイプA)に、ファクターエイトを投与せず、
プラシーボの投与を続けたら、それこそ注射の跡からして
血液が固まらなくなってしまいます。 これもまた、分かって
いながら危険を冒すことになりますので、このような
試験は、すべきではありません。
 
有効性の確認も大変です。
実際に、体内で出血を防いだかどうかを
検証するのは至難の業です。
採血をして、体外での血液の固まり具合を
テストすることなら可能です。
また、長期投与により、抗体ができてしまう、
とか、その他、長期連続投与による
不具合の試験についても、では、
どれ位の期間、トレースすればいいのか、
なかなか結論が出ない問題なのです。
この薬の投与は、生涯、続くのですから、
生涯投与した影響は、やってみないと
分かりません。
 
なお、自己抗体生成は遺伝子組換品につきまとう
やっかいな問題です。 天然型インターフェロンは、
いくら投与しても抗体ができませんが、遺伝子組換インターフェロンは、
長期投与により、弱いながらも、抗体がつくられることがあります。
遺伝子が同じように見えても、微妙に、分子の立体構造が
異なるためと考えられます。 実際、遺伝子の情報をどう読むかは、
細胞によって、微妙に異なるのです。 遺伝子と細胞が、どちらも
同じ哺乳類同士であっても、蛋白質を合成する速度が、
遺伝子のコードによって異なると、最終的な立体構造に
差を生じることがあるのです。これはかなりマニアックな
問題ですので、今は、やめときましょう。
 
 
さて、如何なるリスクが存在するとしても、
検出不能ウィルスが混入していることを否定できない血液分画製剤
の投与を継続するリスクに比較すれば、十分、容認できる、と。
(この手の話は、こういう面倒な言い方になります、すみませんね。
 でも、これ日常言葉にすると、もの凄く長くなります。)
 
 
ということで、極めて少数の臨床例、それも全くの
オープンスタディーという、プラシーボ効果が生じる可能性が
ある臨床試験をもって、製造承認となりました。
 
 
では、この薬、緊急を要し、かつ患者生命にとって重要だから、
ということで、臨床試験を思いっきり省略したことは、ある種の
妥協だったのでしょうか。  そうとは言えないでしょう。 
そもそも、この薬、科学的根拠が明確なのです。
臨床試験を実施して、有効性を確認する必然性が、
一般的な化学合成品よりも低いのです。
また、臨床試験を実施したところで、新たに分かることが
少ない、ともいえます。

 
ファクターエイトをつくる遺伝子に欠陥がある、
よって、血液が固まらない、
ならば、ファクターエイトをつくって、投与すればいい。
 

非常に明解です。

明確な科学的根拠があるのです。

 

つくったファクターエイトが、
自然に存在するものと
同等かどうかは、よく調べる
必要がありますし、
不純物や異物のチェックも
重要ですが、
基本的な薬効は、
当然、出るべくして、出るものと
考えられます。
 
 
分子標的薬の場合、
薬の候補100物質に対して、
製造承認取得までたどり着くのは
3つ位が相場、といいます。
(この手の数字は、計算の仕方で
 なんとでもなるので、精度は気に
 しないでください)
一方、化学合成された物質で、
生体反応の一部をブロックすることを
狙って、分子標的薬が登場する前の
従来型のスクリーニングで開発された
阻害剤の類は、10000種類の候補物質に対して、
1つ当るかどうか、というレベルと言われていました。 
今は、殆ど、当りがゼロになってきました。
もう、昔のやり方では、新薬が出ないのです。
 
ところが、生体物質の場合、大学で習ったような
基本的な物質は、殆どが、医薬品として承認されています。
あるべき物質が不足するために病気になっている場合、
その物質を補充すればいい、という科学的根拠に
基く医薬品は、ヒット率が100%に近いのです。
それでも、投与量とか、投与方法とか、副作用とか、
何と併用すべきか、禁忌事項は、、、 臨床試験の
重要性がなくなることはあり得ません。
それはもちろんそうです。
 
一方、臨床試験は、ある限られた期間内に、
限定された評価基準、単純化された評価基準で
データを数値化し、統計処理するものです。
それがために、ある部分しか見ていないのです。
複雑な現実を、単純なモデルとして捉え、
更に単純な数字にしてしまうのですから。
ファクターエイトの場合でも、臨床試験で
有効性を示すのは、実際に考えてみると、
結構、難しいです。

実は、殆どの医薬品において、臨床試験で
有効性を証明するのは、簡単ではないのです。
それで、こういうモデルを考え、この数字が
こうなると、有効と判定していい、という
判断基準をどう設計するかで、勝負が決します。
メルクマールとか、インディケーターとよばれるものです。
エンドポイントという言い方もあり、意味は同じでは
ありませんが、そのうち、説明させてください。

エビデンスがあるかないか、よりも、
何をもってエビデンスとしているのか、その議論の
方が、ほんとうは、遥かに重要なのです。

厳密に管理された臨床試験の結果こそが、
「エビデンス」であり、そうでないものは意味がない、
と信じているお医者さんが多いのですが、
エビデンスと言われているものが、部分的に過ぎない
現実を直視し、医学は、もっと科学的であるべきだと、考えます。