2009.1.7.
 
 
幕末。
 
ヨーロッパで、そして、やがては世界全域で、
何度も繰り返されたパターンが
日本を標的とします。
 
英国系の「資本家」の代理人が薩長に武器を供給、
フランス政府は、幕府に軍事顧問を派遣。
 
対立する両勢力に、英仏が各々、「支援」を行い、
激闘させたすえ、その国の資産、権益を丸ごと頂戴。 
 
ここで、「手」に乗ってしまうと、日本も「支配下」に
入ってしまいます。
 
ちなみに、ヨーロッパ(+アメリカ)の植民地にならず、
独立を維持した国は、世界で二つしかありません。 
日本とエチオピアです。 (朝鮮もヨーロッパの
植民地にはなってませんが、日本に併合されていました)
かたやGHQ、かたやイタリア軍の占領は受けましたが、
エチオピアの場合、武力でイタリア軍を撃破し、追放しています。
あとの国は、アメリカも含め、全て、植民地にされてしまいました。
 
 
幕末期の日本には「人材」がおり、また優れた人材を
登用する柔軟性がありました。 「阿片戦争」の実態を
調査し、ヨーロッパの本性を見抜いた両陣営の真のエリート達は、
日本人同士で戦っている場合でないことはすぐに理解します。
今、ドルを印刷する会社、そのご先祖にして、映画「パイレーツオブ
カリビアン」で、魔物よりも恐ろしく描かれた「東インド会社」。
20世紀が近づく頃には、それまでの主力「商品」であった奴隷の
代わりに、阿片を最大の収益源としていました。 
清朝中国でも大量の阿片を売り捌きます。
当然、清朝政府は阿片の取り締まりを断行しますが、
英国軍は、清を攻撃、賠償として、99年間に及ぶ
香港の租借権を得ます。 人の国に阿片を売りつけ、
人心を荒廃させ、健康を奪い、商売の邪魔をされたら
戦争。 そしてお前は負けたんだから、賠償しろ。
これが彼らの常識です。
たった100年前のことですよ。
この頃、北米大陸では、インディオは、殆ど
いなくなっています。 どうなったかは、誰でも
知っていることでしょう。
アフリカから北米へ「運んで」いた黒人は、北米内の「人工繁殖場」で
完全管理の下、子供を産ませるようになっていましたので、
もうわざわざ運ぶ必要はなくなっていました。
すると突然、英国は奴隷貿易を非人道的と非難し、
今度は、アラブ商人による奴隷貿易を槍玉にあげます。
 
香港返還の前日、英国支配下最後の日、英国艦隊を
迎撃した清朝軍砲台跡から海を眺め、往時の状況に思いを
馳せていました。 エリザベス女王は、中国政府に対し、
租借権の延長を打診していましたが、小平は、
100年前の阿片戦争のことは決して忘れない、
と、きっぱり断ります。
香港から、翌日、消滅する予定の「国境」を越え、
新興工業特区「シンセン」を訪ねましたが、
方々に小平の顔を描いた看板が立ち並び、国家の
基本方針を100年維持せよ! というスローガンが
掲げてありました。  
 
 
清や、世界の殆どの国の二の舞にならない、
日本人の智恵は、どう発揮されたか、続きは明日以降。