2009.1.9.
 
 
薩長連合軍が、京に迫った時、
幕府は突然、大政奉還を奏上、
つまり、国政を司る責任と権利を朝廷に返上し、
幕府直轄軍、会津、桑名の兵など、大軍を擁しながら、
戦わずに大阪城(当時は大坂)へ退きます。
更には、徳川慶喜は、榎本武揚率いる艦隊に
兵を乗せ、大阪城を無血開城します。
 
周囲を海と、沢山の川や堀に囲まれた
巨大な城に籠もり、圧倒的に強大な
艦隊で大阪湾を封鎖、あるいは山陽道を
強襲すれば、薩長軍に勝ち目はなかったでしょう。
 
しかし、それをやれば、大阪や京都が戦場となり、
勝てば勝つほど、背後にいる英国艦隊との直接対決の
危機が高まります。 連中は、ただ働きはしません。
薩長にとっても、幕府にとっても、戦闘後、彼らの
えげつない「商談」に応じることになります。
 
この難局を乗り切るため、260年の幕府の歴史の幕を
自ら下ろし、朝廷を立てることで、国を一つにまとめようと
したのです。 少なくとも、国の中心地域の一つが戦禍を
免れました。
 
徳川幕府といっても、要は、武家勢力の最大なるものに
過ぎません。 他に強い勢力が台頭し、武力で取って代われば、
新たな幕府が誕生するだけです。 薩長を押し込めば、更なる
英国の介入を招くだけ、負ければ、薩長を介して英国の支配が
日本内部に及んでくる。 もし、薩長が英国の言いなりにならなければ、
武器の供給を止め、改めて、伊達なり、どこか他の武家勢力に
武器と資金を大量供給すれば、そこが天下を取る。
幕府というシステムをそのままにしている限り、ヨーロッパ列強は
どこかの武家勢力を「支援」することで(後から、たっぷりと
借りを返させられます)、容易に国を乗っ取ることができます。
 
ヨーロッパの他民族支配の基本は、分割統治です。
国が一つにまとまれば、支配はできません。
相手を、二つ以上の勢力に分断させ、対立させれば、
容易に介入できます。 一つの勢力は無理矢理、
二つ以上に分割する。 中東、アフリカなどでは、英国が
「揉める」ように考えて引いた国境線が、今でも、
あちこちで、民族紛争の発生源になっています。 
ロシアが行った中央アジアの分割も徹底しています。 
同じような言語を話す人々に、わざわざ、古代の言語を復活させ、
複数の地域の人々に、各々、異なる言語を、これが君達の
祖先の伝統的言語だと教えます。 しばらくすると、
お互い、自国言語同士では通じなくなり、ロシア語を使わないと
コミュニケーションがとれなくなります。 こうして、人為的に、
カザフスタン、タジキスタンなど中央アジア五カ国がつくられました。
一つになると、強大な勢力となってしまうから、分割したのです。
モンゴル、満州、朝鮮半島、いずれも、分割されています。
 
徳川幕府は、大政奉還により、天皇家を頂点とする、日本を
一つにまとめられるシステムを復活させたのです。
 
流石のGHQも、天皇制廃止までは、踏み込まなかったですが、
日本の国家神道を、諸悪の根源のようなイメージ広告作戦を
展開しました。 日本は悪い国で、他の国々を侵略し、傷つけた、
謝罪しなければいけない、、、、 
 
それを言うなら、先に自分達が謝ってから、そう言えば?
 
大阪城攻防戦を回避した後、今度は、幕府家臣山岡鉄舟の叡智により、
江戸血戦も回避されます。 更に念押しで、榎本武揚は江戸市中に檄を飛ばし、
「これより、旧幕府艦隊を乗っ取り、全力で東海道方面に出撃、薩長軍の補給路を断つ、
志あるものは、我の下に集まれ!」 と、血の気が多い志士を舟に乗せてしまいます。
段々と寒くなってきます。 どうも話が違う、、、、 なんと、艦隊は仙台へやってきました。
新政府軍と海戦を交えたのち、北海道、五稜郭に籠もり、旗艦は謎の沈没、
土方歳三も討ち死に、、、  これ以上、国内で暴れられては困る人々、
かといって、それぞれに志を持つ最後の武士達。  人口密集地を避け、
彼らに、最後の戦場を用意し、情念を昇華させます。
榎本武揚は捕虜となりますが、暫く投獄されたあと、
新政府の諸大臣を歴任、外交や、公害問題、
農地開拓、東京農大開校、などなど、
国内外で活躍します。