2017.5.20.



ミツビシというのが
どれほど巨大な企業グループかということは
おそらく、ほとんど知られていないんでしょうね。

冷蔵庫やTVといった家電,自動車などには、
ミツビシブランドが使われてきましたが
タンポンは、アンネブランド、カメラはニコン
石鹸・洗剤はライオン、と消費者が直接、手に取る
商品には、ミツビシのブランドは原則、
使われずにきました。

ましてや、海外で何をやっているのか
一般の人には、知る機会もないんでしょうね。


えええ!!! そんなこともやってたの 〜〜〜


というオンパレードですが、もちろん
元社員としての礼節は守りますので
あんまりすごい話は書きません。


さて、ルーツについても、案外、知られていないようです。



ミツビシというと マルノウチ村、
東京が中心というイメージがありますが、
発祥は大阪です。

グループの主力工場も大体は訪問しましたが
西日本に集っています。

本社は東京にあっても、案外、ミツビシで働いている人は
西日本にたくさん住んでいます。


さて、ミツビシのルーツですが、大阪に創業された会社は
「九十九商会」と書いて、つくもしょうかい と読みます。

代表者は岩崎彌太郎氏で、この人物は、ミツビシ創業者として
よく知られていると思いますが、元々、坂本竜馬の亀山社中、海援隊の
番頭さん、というか、実態は、帳簿をつける、
経理係のようなものだったようです。

九十九商会のビジネスは、海援隊と大きくは変わりません。

廻船業の一種ですが、割となんでもやりますので
当初から、総合商社的な機能をはたしていた、
ともいえます。 
それでも、「船」が目につきますので
日本郵船さんには、自分たちこそ正に、
ミツビシの創業以来の事業、という意識を
もっておられる社員さんもいらっしゃいました。


ミツビシには、最初から、国外資本の影響が大きく
働きます。

海援隊そのものが、資金力なき下級武士が集まり
突然、船を運用し、長い鎖国が続いたあとの
まだまだ海外との門は狭い時代に
海外との交易を始め
高額な武器を仕入れ、
薩長に売りつけたわけですが、それだけの資金力、
流通ルート、船舶などの資産を提供したのは
トーマス・グラバー率いるグラバー商会です。

では、英国資本なのか、というと
この会社、香港ベースのジャーディンマセソン商会の
代理店で、さらにジャーディンマセソン商会は
ヤコブシッフ率いるクーンロエブ商会とのつながりも深く
そのクーンロエブ商会は、米国での
投資活動が活発であり、お金に名前は
ついていませんので、大元の資金が
どこから出てきているのかは
判然としません。

ちなみに、クーンロエブ商会といえば
国家予算8000万円時代の日本から
22億円の戦争債を引き受け、
日露戦争の戦費を賄ったとされています。

阿片戦争に懲りた英国議会は
これ以上、国費で戦争や侵略を仕掛けて
利権だけ、民間企業がもっていくのは
けしからん、植民地を広げるほど
英国の国家も経済も疲弊し
民間の多国籍企業だけが潤う
この手には、もう乗れないと
轟轟たる非難が起こり
次に侵略すべき標的、日本に対して
直接の軍事力行使をやりにくい状況で
では、植民地である米国にやらせるのか
というと、こちらも南北戦争の最中であり
すみません、今、いそがしいんです、、、
という力の空白状態の中で
明治維新が成立します。

この時期、ならばと日本に乗り込み
新政権擁立に動いたのが、英総督クーパー
エリート諜報員アーネストサトウ
オランダ人でありながら米国をベースとする
フルベッキ(師匠のフェーリスの方が名前が
知られているでしょう、女学園の名前に
なっていますから)、そしてトーマスグラバー等です。


グラバー商会の後ろ盾というか、本体そのものに
近いのですが、坂本竜馬が貧乏下級武士から
突然、大きな資金を動かす武器商人に化けます。

ちなみに、坂本龍馬と書くべきでしょうが
歴史上の坂本龍馬と、イメージとして語られている
歴史小説に登場する坂本竜馬は、かなりの「差」があり
一般にイメージされる実在の人物とは異なる坂本竜馬の方が
通っているので、敢えて、竜馬としています。
もちろん、歴史上の明治維新と、一般にイメージされる
歴史小説としてドラマなどに描かれる明治維新とでは
やはりかなりの「差」があります。


坂本竜馬暗殺後、経理係だった岩崎彌太郎は
概ね、同じような仕組みの組織をつくり
九十九商会を創業します。
運送業者、とか、製鉄メーカー、とか、
特定事業に特化した企業が大きくなるのは
後の時代で、基本的になんでもするのと
似たような企業をいくつもつくり、
これらが吸収合併や分離を繰り返すので
実際には、相当、複雑なのですが、
輸出入のルートをもち、運送手段をもち、
大きな資金を動かせ、といった基本は
海援隊と変わりありません。



少し時が流れ、皇居の東に東京駅がつくられます。
アムステルダム駅のコピーです。
最近、大規模な改修工事がありましたが
ますます、アムステルダム駅に似てきました。

なんで、オランダなんでしょうか。

グラバーはオランダと深い縁があるわけでなく
明治維新前後に活躍したオランダ人といえば
フルベッキですが、この人物、300人以上の
エリートを自身が卒業した米国のビジネススクールに
送り込み、日本の官僚機構の人材育成に貢献したと
されています。

外国の要人が訪れた際、二重橋前から
陛下と共に、馬車で、「アムステルダム」駅の
正面玄関がある東へ向かって行進する
あるいは、地下通路を利用し、御用列車が
発着する地下御用ホームに直接、向かう
どちらかを選択という儀式がつくられ
実際、何度か、地上の方の儀式は
観たことがあります。
戦時中、叔父は近衛騎兵連隊の儀仗兵として
陛下の馬のお世話をし、パレードにも
参加していたそうで、いざという時
馬が沮喪をしないようにするのが
一番、気を遣ったことだったそうです。

今では、メトロ二重橋前駅から
地下の僥倖通路を通って、丸の内の地下へ
歩いていけますが、かつては、
二重橋前と丸の内を直接つなぐ
地下通路は一般人通行不可でした。

さて、天子南面するこの国において、
国家元首が皇居から日出づる東を拝みながら
アムステルダム駅中央口へ向かう儀式を
国外の賓客と共に行う、、、、

何か、不思議な気がしないでしょうか、
如何でしょうか。


皇居の東にアムステルダム駅ができたころ
丸の内は、雑草がぼうぼう茂る空地でした。

ここにミツビシ本社がうつり、いわゆる
マルノウチ村ができあがります。

中心地は、オランダ人ヤンヨースティン邸宅跡でした。
徳川家康の外交交渉要員だった人の自宅があったところです。
ヤンヨースティンが、「八重洲」となります。
今日では、東京駅の東側が八重洲となっておりますが
八重洲の中心地は、丸の内にありました。
アムステルダム駅ができ、東側に八重洲の地名が残ります。
最近、取り壊されましたが、ミツビシの本家があった地には
八重洲ビルが建っていました。
丸の内に就職したころ、なんで、丸の内に八重洲ビルが
あるんだ、と不思議に思ったものですが、ここが
ずっと商事本店所在地でした。

ヤンヨースティン邸宅跡には、トーマスグラバーが
住み込み、毎朝、わざわざ馬車にのって、ミツビシの
事業所を訪れていました。

グラバー商会の子会社としてミツビシがつくられたのではなく
むしろグラバー商会そのものは、勢いを失っていき
トーマスグラバーの立場は、顧問です。

キリンビールは、ミツビシのビール部門が分かれたのではなく
グラバーの子息が長崎につくったビール事業が元になっている
ようです。 直系ではなく、同じようなルーツから
でてきた、というところでしょうか。


外部資本の企業群とも、
盛んに、合併と分離を繰り返すので、単純にミツビシができ
そこから、次々に部門子会社ができて、今日のミツビシグループを
つくっている、というわけではありません。

なお、私が就職したころには、商事は、二つありました。

戦前まで存在した企業が、財閥解体の憂き目にあったわけですが
登記上も消えたのではなく、通常の事業はやりませんが、
存続はしていました。 戦後の企業体は、解体後、解体前の
部長クラス以上が、二人いる企業はつくってはならない、とか
細かいルールがいっぱいあったのですが、元社員さんらが
小さな企業を次々につくられ、これらが大同団結して
再結成されたのが、今日につながっています。